想いの量は無尽蔵ではない。想いを産み出すのには、その想いを産み出すためのエネルギーがあって然るべきで。与えつづけるだけでは、心が枯渇してしまう。与えつづける想いを支える想い。心潤すためのエネルギーを求める先で、疲労や苛立ち、不満や不安。そういった負の想いを抱え込んでいるのなら。やはり、想いを注ぐことになる。補給するために、補給する。それはある意味矛盾するのだけど。それが支えあうということなんだね。