自身のコミュニケーション能力をひけらかすように、あなたはその語彙を駆使して、その感受性を活かして、必要としている人に、必要とする言葉を投げかける。時として、甘く、時として、苦く、施される癒しはその実、心なんて欠片もこもっていないのかも知れないのに。その先にあるのは、自己満足なのか、己の存在意義を見出すためなのか、きっと彼女自身にもわかっていないのだろう。