| Spilt Pieces |
| 2003年05月04日(日) 言葉 |
| 何が本当か分からないときは、言葉を使わない方がいい。 綴らずに伝わる気持ちがあればいいのに。 自分の中にある感情を、否定することはできない。 でも、自分と同様の感情を持つ人に同じであることを指摘されると、無性に否定したくなる。 自分の重たい感情を、それはそれとして捉えることはできるけれど、誰かのそれは背負いたくないと思ってしまう。 悲しみを相乗させたくないからかもしれないし、夢から現実へと向かうことのできない弱虫が寄り添うだけになりそうだからかもしれない。 結局私は、自分の悲しみを認めはしても、それを殊更訴えるような人には冷たいのだろう。 飲み込まれたくない、というのもある。 傷の舐め合いを求めたりはしない。 ただ、何かを発したくなるときがあるからそれを消化する場所が欲しいだけ。 カウンセラーには向いていないな。 現実を見つめている人が必ずしも強いとは思わない。 何も見ない方が強くいられることもあるし、強い人たちが善人とも限らない。 そもそも、善人とは何だろう。 とりあえず、私は違う。 そして何だか若さを原因にして、いつだって熱が冷めない。 色んなことに対して怒ること、ではない。 怒っていると表現してしまうこと、だ。 それを分かっているのに何ともできない自分は、経験不足という意味において若いのだと思う。 むしろ幼いと表現した方が適切か。 自分の中に眠る牙は、いつもどこかで誰かを傷つけてしまったし、それを悔いることはできても何も変わらない。 今も、今の自分に満足しているわけではないけれど、できれば自分の気性の不安定さというくだらない原因によって誰かの心を痛めさせることだけは避けたい。 どんな方法が足りなくても、どんな言葉が足りなくても、今できる精一杯をしないといつか後悔する。 だから、今の自分が留まっているところがどれほど未熟なものであっても、それを否定していたら先へ進むことができないから認める。 認めながら、足りないものを補いたい。 自分を認めながらも、自分と同じような感情の展開の仕方をして悲しみを訴えられると逃げたくなるのは、きっとこういう理由。 綴らずに伝わる気持ちがあればいいと願う。 それでも、言葉を使わずにただ裸の自分のままで何かを表現することができるようになる日まで、きっと私は今と変わらず何かを綴るだろう。 「今」が仮にあと何十年も続いたとしても、私はいつか辿り着けると信じていたい。 |
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