Spilt Pieces
2003年04月21日(月)  郵便
最近すっかり普及したメール。
これを「電子郵便」と表現する場合があるらしい。
正式な名称であるかどうかは分からないが、少なくとも、こういう表記をしているHPに出くわすことはよくある。


私としては、どことなく「違う」という印象を覚える。
同じ平面でも、本物の郵便物の方が温かみがある。
メールでは、文章の内容しか伝わらず、筆跡から相手を想像することすらできない。
私も字のうまい方ではないので、このことは救いといえば救いなのかもしれないが、無機質な手紙の交換は、どこか寂しさを伴う。


パソコンで書いた方が、手で書くよりも確実に早い。
手で書いていると、考える速度には絶対に追いつかないが、パソコンなら多少は健闘してくれる。
それでも、どうしてだろう。
例えば手紙を断ち切る気にはならないが、メールならそれができてしまう気さえする。
平面上での、幻のようなやり取りだからだろうか。


今私は、パソコンのディスプレイの前に座っている。
目は、その画面を見ている。
何かを表現するとき、自分の一部がここにいるかのような錯覚。
だが、一歩外へ出ると、この薄い画面の中に自分がいるはずもないと思う。
何も書かなくても、何も表現しなくても、外の立体空間の中で手を伸ばす時間があれば私は自分を確認することができる。
三次元の中に生きている自分にとって、この二次元は不思議な空間。
我が物とした小さな場所をいとおしくは思えども、それで満たされないのが現実。


肌を撫でていく風が、どんな温度でどんなタイミングでどんな表情だったかと、いくら考えたところで言葉で表すことができない。
「電子郵便」で何を伝えたいと思っても、春の暖かな日差しと冷たい空気が共存していることをどう表へ出していけばいいのか分からない。
ひょっとすれば手紙なら、それを伝えられるかもしれないと思うのに。
それと同時に、元々言葉が三次元ではない以上、思いのままを伝えることだって無理なのかもしれないとも思う。


何かをそのまま映し出そうと願うこと自体、間違っているのだろうか。
少なくとも、私には何かをありのまま表現する手段はないし、だからこうやって今何かを書こうということそのものが矛盾しているのかもしれないけれど、それでも妙なところ頑固な私は、今日も批判をしながらこの薄い画面の前で何かを吐き出しているのだ。


それでもやはり、「電子郵便」よりは郵便の方が好きだなという思いには変わりがないのだけれど。
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