| Spilt Pieces |
| 2003年04月07日(月) つくし |
| 福岡から、祖父が遊びに来てくれた。 弟の大学合格祝いも兼ねて、しばらく滞在の予定。 家が賑やかだ。 今日、祖父と母と私の3人で花見がてら近くの公園へ散歩に出かけた。 霞ヶ浦湖畔にあるその公園は、風車が回り花が咲き、まだ故郷へ帰っていない渡り鳥がちらほら飛んでいる。 のんびりと、板張りの道を歩いた。 今日は昨日と違って風も弱く、ポカポカと暖かかった。 平日ということもあって、人が少ない。 小さな水車の近くまで行って写真を撮る。 心地よい陽気のせいか、顔にぶつかってくる虫の数も多い。 口の中に入ってきやしまいか。 少し心配しながら、いつもより控えめに口を開き写真に納まる。 公園では、あちらこちらでつくしが出ている。 家の庭にスギナが多く顔を出すので、普段母はつくしを見ると嫌な顔をする。 でも今日は散歩で行った公園でのこと。 3人でわいわいと摘みながら、スーパーでもらう半透明のビニール袋に入れていく。 まだ若くて緑色をしたつくしは、触れるとバサリと胞子を飛ばす。 空を、小さな胞子が次々群れをなして飛んでいく。 すぐさま袋はいっぱいになった。 桜の他にも、色とりどりに花が咲いている。 それらを愛でながら、春の1日を満喫した。 水の音、陽の光、他愛もないことで笑い合う。 私がいつも望むのは、こういうことが日常のどこにでも見ることのできる生活。 「憎しみの連鎖は断ち切れないよ」 誰かが言った。 結局のところ、私が願うことはいつも、現実を無視した理想論なのだろう。 愛する人を殺されて、それを憎むなという方が無茶なのだ。 紛争が止まないのは、きっと、人は幸せを我慢することより憎しみを我慢することの方が苦手な生き物だからなのかもしれない。 それでも、テレビを見ながら、遠い地で起こっていることを思い願うのは、いつも同じ。 特定宗教に対する信仰を持たない私は、祈りを捧げる相手がいない。 だから願う。 今日の夕飯は、3人で摘んできたつくしの卵とじだった。 数年ぶりに食べた。 懐かしい味を噛みしめながら、テレビで今日何度目になろうかという宮殿侵攻の報道を見ていた。 |
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