| Spilt Pieces |
| 2003年03月18日(火) 剽窃 |
| 以前提出した論文に関して、その講義の担当教官から嫌味に近い言葉が延々と書かれたプリントが配布された。 個人宛ではない、その講義を取っていた者全員に対してのコメントだ。 彼の講義は、必修だったためやむなく取ったのだが、そうでなければ出るまでもなく放棄しただろう。 事前に配布された資料に、高圧的な態度の垣間見られるような文章が並べられていたからだ。 人間的に尊敬できそうもない人から、学ぶことなど何もないと私は思う。 たとえどんなに知識があっても、だ。 どこかにいる、両方兼ね備えた人を探すまでのこと。 彼は哲学を語る。 机上の空論に終始するその理論は、私にとっては不快以外の何物でもなかった。 講義そのものが、矛盾していた。 「総合教育」を語る手段として、従来より批判されていたようなものを用いていた。 英文を全訳させて、訳の仕方の相違をこっぴどく非難し、己の意見に賛同しない者を全員の前できつく責めたのだが、これでどう立派な教師を育てようというのか。 不満だらけの講義が終わり、論文を提出して終わった。 彼の考えていることは講義中に何度も聞いたし、他者の考え方に不満は持っても否定する気はなかったから(ある意味ひどく冷たいとも思うが)、議論することに意味を感じず、我慢して終えてしまった。 これがよかったのか悪かったのかは分からない。 二ヶ月経ち、彼のことなどすっかり忘れていた。 そうしたら彼は、ご丁寧に講評と題した両面刷りのプリントを配布。 それも、春休みに入ってから。 彼は、提出されたものについて剽窃が多いとのコメントを書いていた。 以前どこかで聞いたことを自分の考え方のように思い込んでいることも、意図はしていないが剽窃であり不正行為であると。 彼のことはとてもじゃないが好きになれない。 それでも、少しだけその言葉について考えてみた。 そもそも、どこからどこまでを剽窃というのだろう。 他者の文章を自分の意見として転用することがいかにひどい行為であるか、大学に入ってまで知らないはずもない。 私は、たとえ自分が一文字も書けないようなテーマを与えられても、そんなことをしたいとは思わない。 カンニングするくらいなら0点を取った方がいい、というのと同じことだ。 しかし私は、他者の考え方を聞いて、自分の中でそれを消化させて自分の言葉で語る場合においては、剽窃ではないと思う。 生まれてきたときから独自の考え方を持っている人などいない。 極端な話、「人を殺してはいけません」ということを当たり前だと考えるのは、育った文化の中で周囲から与えられた価値観によると思う。 後付けの価値観を逐一批判していたら、誰も何も話せない。 きっと、自分が話す言葉は全て、どこかで誰かがかつて言ったことと同じなのかもしれないと思うから。 それを恥じようとは思わない。 先人の知恵を学ぶことなく、自分など存在し得ないのだし。 丸写しは論外としても、以前聞いたことを自分の考えとすることが全て不正行為であるというのは極端なのではないか。 真似かもしれない、だが自分で考えてそれがいいのだと決着がついたのかもしれない。 何も知らずに、それらを一緒にして非難する姿勢はどうなのだろう。 幸い私は呼び出しをくらって彼と二人きりで話をするような目には遭っていない。 だが、他を受け入れようという心の幅すらないような人から評価されなければならないということが不快で仕方がない。 何だか支離滅裂な文章になってしまった。 それにしても、勉強さえできれば教授というのは務まるものなんだろうか。 いい人の方が多いとは思うのだけれど、研究優秀で人格歪んでいる人というのがいるのも事実。 大学にも教員採用試験の制度設けた方がいいと思わないでもない今日この頃。 |
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