| Spilt Pieces |
| 2003年03月02日(日) 責 |
| 誰が悪いのだろう。 例えば、この国の文句を言う場合。 抽象的すぎて、結局誰にも責任がないかのような。 「国」って一体何だろう。 この国に暮らす私は、国と無関係なはずもなく。 それなのに、「この国は間違っている」と、まるで他人事のように言えてしまう。 今日出た話題。 「日本は難民を受け入れようとしない」 苦しむ人を見て、受け入れない自分の国を見て、文句を言うのは簡単。 でも、拒否している「国」の中に、自分は含まれないのだろうか。 悪いのは、誰? 誰かは、官僚だと言う。 誰かは、政府だと言う。 誰かは、この国の閉鎖的な文化だと言う。 では、そういう官僚を作ったのは誰か。 伝統?慣習?教育? では、そういう政府を作ったのは誰か。 政治家?権力?有権者? では、そういう文化を作ったのは誰か。 先祖?思想?自分? 誰かのせいにするのは簡単。 だけど自分で動いて実際に変えようとするのはやっぱり難しい。 だからと言って、危機感を感じていながら何もしないのは、気づかないよりタチが悪い。 自分には何ができるのだろうと考えて。 机上の空論はやめて、現実的に考えることをしようと思う。 それしかできない、でもそれが大切だとも。 例えば、難民が隣町に住むとしたなら、自分はどんな対応ができるだろう。 いきなり手を握って友達になれるとは思えない。 だって、普段の人間関係でもそうなのだから。 それを無理やりいい人ぶっても、それは偽善とか優越感とか憐れみになりかねない。 じゃあ、順を追ってでもいい、自分には何ができるだろう。 どこかの見えない人のせいにしてばかりでは、今と変わりない場所が続いていくだけ。 自分に全てができるとは思わない。 自分がやらない何かをやってくれる人がいることを、常に期待するのは間違っているのかもしれないけれど。 私は私のペースでもいいのではないかなと。 理想論を言うのは簡単だもの。 |
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