Spilt Pieces
2003年02月04日(火)  望
私は、基本的に笑うことができる。
だって、自分が不幸に遭っていないから。
あるのはただ、世の中にある悲しい多くの出来事に胸を痛めるということだけ。
私自身の心臓が貫かれたわけじゃない、ただの感情移入。
それは、きっと時間が経てば色褪せてしまう。


私は、基本的に、笑うことができる。
だけどそれはあくまでも「基本的に」の域を出ない。
なぜなら世界中にあるほとんどの痛みを無視してなされることだから。
どんな言葉を並べても、何度涙を流しても、結局のところ自分の心の多くを自分の生活についてが占めてしまう現実。
どんな言葉も届かない、意味がない。
涙など、何度流したところで食糧にも家にも変わりはしない。


好きなことをして夢をみて恋をして、幸せな生活をすることのできる社会に生きている。
だからこそ自分以外のことを考える余裕があり、こんなことを思うこと自体が驕りなのかもしれない。
かつて奴隷制度が当然のように存在していた社会で思想が発達したことと同じで、多くの人を犠牲にしていることを忘れて言葉を並べているだけなのだろうか。


何ができるだろう。
孔子は、思ひて学ばざれば、と言ったが、私は自分が動くまでの言い訳をいくつ集めたら気が済むのだろう。
学ぶより前に動けるだけの、無鉄砲さにも似た力が欲しい。
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