Spilt Pieces
2002年09月17日(火)  日朝
日朝国交正常化交渉が再開された。
拉致された人の多くが亡くなったという。
小泉首相は金総書記を責めた。
金総書記は事実を認め、謝罪した。
20年以上待ち続けた祈りのような吉報は、ついに拉致家族に届かなかった。
淡々と、「あなたのところは生存、死亡」と伝えられた家族たち。
生存と聞かされた人々も、素直には喜べないだろう。


拉致された人は、どんな未来を思い描いていたことか。
歴史の渦に飲み込まれ、その夢も断たれ、家族とも引き離された。
政府が認定していない、拉致された人というのもいるだろう。
実際、本当に亡くなった人は何人になるのか。
やりきれない。
やり場のない怒りしかない。


どんなに時が流れても、家族の痛みと怒りは消えないだろう。
日朝国交正常化が果たされても、きっと変わらない。
そこで思うこと。


かつて日本が植民地として支配した国々が、今も日本によい感情を持っていないとしても、それは当然だろうということ。
人間が持つ感情として当然のこと。
私だったら、許せないと思うから。
そう単純に「私だったら」だなんて、仮定していいような単純な問題ではないと思うけれど。


この痛みを、拉致家族だけではなく、日本人皆が覚えていなくてはならない。
自分たちの痛みと、自分たちが与えた痛みが、あちこちに残っていることを、覚えていなくてはならない。
例えば50年後、北朝鮮の子どもたちが今回のことについて「何も知らない」と答えたらどうだろう。
「先祖がやったことです、知りません」と。
そんな言い訳は、通用しない。
それなのに日本人は、そういうことを平気でやっているような気がする。
今、何もできない私は、せめて覚えていようと思う。
悲しい歴史が、もう繰り返されないように。
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