Spilt Pieces
2002年08月29日(木)  母の誕生日
今日は母の誕生日だった。
46歳になった。
私は例年のように「いくつになったの?」と言ってからかう。
それが何となくせつなくなったのはいつ頃からだったろう。


家族三人でお金を出し合って、普段はなかなか買わないような値段のバッグを買った。
この前見つけたおいしいケーキ屋さんのケーキを四個買った。
プレゼント何にしよう、お金の負担割合はどうしよう、そんなことを相談しあう。
三人で集まって楽しそうにしているから、母が聞き耳を立てて近づいてくる。
わざと意地悪をして声をひそめる。
きっと母も何の話し合いか分かっている。
それが毎年のこと。


来年弟は家を出て、きっともう六年は帰ってこなくて、そしてその頃私は結婚しているかもしれない。
27歳で、家族全員で暮らすなどないと思う。
だから、今年が最後なのだと、嫌でも感じる。
20年間日常だったことが、今に特別なことに変わる。
全員がそれを感じている。
だからせつない。
そして皆が年を重ねていく。


誰かが悲しいことを望むわけじゃない。
年を重ねて状況も変わって、色んなことを望むうちにそれが噛み合わなくなるだけ。
ただそれだけ。
母は私にそばにいてほしいと言う。
私もそばにいたいと思う。
だけど、そうは言っていられない。
どうせいつかは家を出る日が来るのだ。
幸せなはずの多くの門出は、あちらこちらで小さな空洞を作り始める。


「入学おめでとう」
大学に入ったとき、皆がそう言って、そして喜んでくれた。
そして私も嬉しかった。
だけどそれは巣立ちの日が近いことも示していた。
だから母は自分の趣味を見つけようと考えるようになった。
自分の人生について考えるようになった。
そのゆとりができたのは、最近のことなのではないだろうか。


私は弟が大学に合格することを祈っている。
弟も志望大学に入りたいと思っている。
だけど私は弟が家を出てしまうことが寂しくて仕方がない。
本当は出て行って欲しくない。
だけどどうしようもない。
全ての願いが矛盾しないことなどあるはずもなく。


大人になるってどういうこと?
きっと、こういうことの繰り返し。


母にHappy Birthday と皆で歌いながら、きっと母もそうであるように、複雑な気持ちでいっぱいだった。
年を重ねることの喜びと、せつなさと、それは矛盾してるようで、同じ舞台上にあることだから。
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