2005年06月11日(土)  長い長い廊下。
 
夜勤。真夜中。不眠の患者さんがフラフラしながら廊下を歩いてきてナースステーションに入り、僕が仕事をしているデスクの横にちょこんと座る。
 
僕は医療職とか主任とか看護師である以前に人間であるので、いくら痴呆といえども話をしにきた患者さんに、ただ「眠れないんですね。大変ですね。これ飲んで寝ましょう」と、眠剤を渡すのではなく、話をしにきたんだからそれを傾聴する。話の内容が全く意味がわからなくても、話の流れを掴んでしっかりと相槌も打つ。それが基本的な人と接する態度だと思う。 
 
この患者さんは、他のスタッフには暴言を吐いたり時には椅子を振り上げたりするのだが、なぜか僕にはいつも笑顔で話し掛けてくる。「なぜか主任だけには優しいのよね」と看護婦さんは言う。でも僕はその「なぜか」を知っているし、看護婦さん達だってその「なぜか」を真剣に考えたらそれはさほど難しくないことだと気付く。
 
人間として接してほしいだけだと思う。患者・看護婦ではなく、時には友として、時には家族として接してほしいだけだと思う。書類上「同意」はしているものの、実質的には家族から無理矢理引き離され、周囲は他人ばかりの病棟に入れられて、寂しくて、イライラして、暴言を吐いて、時には椅子を振り上げて。患者さんは叫ぶ。僕達はその叫び声を、その声に隠されているものを、それぞれの胸の中で分析する。看護師とはそういう仕事だと思う。
 
そして、スタッフそれぞれの判断が看護として表れる。椅子を振り上げるのだったら取り上げればいい。暴言を吐くのだったら口を塞げばいい。安定剤を与薬すればいい。注射を打てばいい。それは決して間違いではない。主任としてその看護行為を注意することはない。でも人間としてどうだろうと思う。看護の基本は本当に簡単なことで、自分にしてほしくないことを相手にしない。それを常に踏まえてものを考えると、決してそういう行為には出ることはない。
 
看護婦さん達をいつも悩ませている不眠の患者さんは、いつの間にか僕のデスクに顔を埋め寝息を立てている。患者さんの耳元で「部屋帰って寝ましょうか」と囁き、患者さんの前にしゃがみ込む。
 
深夜2時。病棟の長い長い廊下を70歳の患者さんをおんぶして歩く。薬よりも注射よりも効く「何か」を、僕達は持っている。その「何か」を使うにはとても苦労のいることなんだけど、その「何か」を必要な時に、必要な人に、適切に使わなければいけない。看護師という仕事は、そういうものだと思う。
 

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