2005年02月23日(水)  男心の描き方。
  
「月刊男心」のアクセス数が「歪み冷奴」の約7倍に達してしまった今、この「歪み冷奴」の存在意義はもうなくなったも同然、こんな日記なんて誰も読んじゃいねーよなんて、いじけてしまいそうだけど、絶対誰かが毎日楽しみに待っていると信じて今日も頑張って書いてます。思いついたことをそのまま書いてるからあんまり頑張っていないけど。
 
しかし「月刊男心」これは我ながら頑張っていると思う。というのも、あの詩で重要なのは構成とリズムであって、従来の詩と差別する為に、オチをつけなければいけない。そしてこのオチに到達する1行前まで、オチの存在を感付かせてはいけない。突然降りかかってくるオチ、横殴りのオチ、落とし穴的オチ、晴天の霹オチ、寝耳にオチみたいなものが重要なのである。
 
というわけで、まずオチというものが存在する。1行もしくは2行のオチの部分を書き、そこから詩としての広がりを考えていく。ここからがこの日記と違うところで、この日記は頭の中に浮かんだ文章をキーボードを叩いてそのまま文字にしているという猿みたいな行動によって短時間で書かれているが、「月刊男心」はとにかく時間が掛かる。まずオチを1行書いて、パソコンの前に1時間程座って、オチにつながる文章を何パターンか書いて、風呂に入ってる時に新しいイメージが湧いて、体を拭いてるうちに忘れて、再びパソコンの前に座り牛乳飲みながらタバコを吸って、なんとか言葉を繋ぎ合わせて約1時間ほど寝かせる。
 
1時間後、再び先ほどの詩を読んで、こういうことはままあるのだが、1時間前にこれすっげー面白い。何これ誰が書いたの? っていうか僕? 僕ってこんなに面白かったっけ? という甚だしい自画自賛モードになっていたというのに、1時間後に再び同じものを見てみると、微塵も心が動かないばかりか、こういう文章をワールドワイドウェブの世界に載せようとしていた僕はなんて馬鹿野郎なんだろう。なんて厚顔無恥な奴なんだろう。恥ずかしい。書き直そう。と、一転、自己嫌悪モードになり、文章の訂正を繰り返すのである。
 
そんな過程を経て、ようやく一つの作品が完成する。そういう紆余曲折があるとも知れず、僕の彼女ときたら「今日のやつ全然面白くなかった」と、一言の感想で済ませ、「ねぇ今度どこに行く?」ともうデートのことしか考えちゃぁいない。まぁ面白くない作品を無理矢理面白かったと言われるほど、文章を書く者にとって屈辱的なことはないと思うので、彼女の感想もありがたいものだが、僕はどっちかっつーと誉められたらどんどん伸びて、叱られたら必要以上に凹む体質なので、もう少し認めて欲しい笑って欲しいという傍ら、彼女の書いた文章のダメ出しばかりをする毎日。
 

-->
翌日 / 目次 / 先日