2005年01月31日(月)  赤い自動車(後編)
体調の良い日は、車椅子にも乗れるようになった。僕が車椅子を押し、病棟を往復しながら「今日はいい天気ですね部長さん」と言うと、「か、か、か課長っ!」と、怒って訂正した。山本さんは印刷工場の課長さんなのだ。
 
山本さんは元気になって、慢性期病棟へ転棟することになった。僕は別れることが少し寂しかったけど、病棟は違うけど、同じ病院にいることは確かなんだからと、僕への言い訳をそのまま山本さんに説明し、山本さんは慢性期病棟へ移った。
 
一度、山本さんの様子を見に行った。山本さんは僕を見るなり「ヨ、ヨ、ヨ、ヨシミ先生」と手を挙げてニコリと微笑んだ。そして僕と山本さんの会話は、それが最後になった。
 
今日、同じ病棟のヘルパーさんが僕の元へ息を切らしながら駆け寄ってきた。
 
「山本さん、亡くなったんだって」
 
今まで、幾度となく人の死には関わってきたけれど、死という事実に直面した瞬間、全身を襲う虚脱感みたいなものになかなか慣れることができない。部屋に帰り、夕食を食べながら山本さんのことを考え、シャワーを浴びながら山本さんとの会話を反芻し、ベッドの中で天井を見上げながら最後の会話を思い出す時は、もう涙が止まらなかった。
 
山本さん、化けて、出てきてくれないかな。
 
僕はまだ、山本さんといっぱいお話がしたかった。いっぱい介護をしたかった。床ずれの処置だって毎日しなきゃならないし、一人で食べることができるようになった食事だってまだまだ観察しなきゃならない。山本さん、化けて、出てきてくれないかな。僕は、赤い自動車、借りたままだよ。
 
あの日以来、僕は山本さんが亡くなった病棟には行っていない。まだ、山本さんがいるような気がするから。兄弟思いで母親思いで、ずっと独身だった山本さんが。印刷工場の課長さんが。
 
もう一度会いたい。あと一度だけでいい、山本さんの手を握りたい。
 

-->
翌日 / 目次 / 先日