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| 2005年01月07日(金) 弱虫は庭に咲く。 |
数日前彼女が、ハウス名作劇場の「小公女セーラ」を知らず、「何? 装甲車セーラって?」と言い間違えたことに対して非常に遺憾の念を抱いた僕は、書店で「小公女セーラ」の小説を購入。お前もこの悲しい物語を味わい、人間的に厚みを増せば自ずとこの8歳の年の差は縮まるであろうと言ってそれを渡し、「あー。ありがとう。読んでみる」という、それにしても厄介な本をプレゼントするものだ。アニメて。アニメの小説て。同人誌じゃあるまいしとでも言いたげな彼女の表情を敢えて無視し、彼女の人間的成長を「小公女セーラ」に託したのだった。 そして昨日、彼女がこの本を読了したという報せを受け、待ち合わせ場所に登場した彼女は、10分遅刻しても反省の色すら見せず、総武線が爆発したの。テロか何かで。ちょー怖かった。と、平然と大嘘を放ち、妙な方向に人間的に成長していた。 東京駅の喫茶店で簡単な食事を摂った後、僕の部屋に行き、「これちょっと聴かせて」と言って彼女は小さなシングルタイプのCDを取り出した。 なんぞこれは? と頭を傾げていると、これは貴殿が渡した小公女セーラに付属されてあった主題化などが収録されているCDで御座います。と言うので、へぇ、最近の小説はCDまでついてるのかと感心して、ちょっとそれ見せてと言った僕を彼女は完全に無視し、勝手にコンポにCDを投入。ワンルームの部屋に「小公女セーラ」の懐かしい主題化が流れ出した。 懐かしいねー。すげぇ懐かしいねー。など、一人感慨に耽っているが、彼女は何が懐かしいのか全く理解できないという表情をしているのは、この小公女セーラ、放映されたのは1985年であって、僕は9歳。彼女は1歳であって、彼女にとっては懐かしいはずがない。まだろくすっぽ言葉すら放せなかったし自立した排泄すらできなかった歳である。懐かしいんだよ。とにかく懐かしいんだよ。と、いくらこの懐古的な感動を彼女に強要しても、彼女にしてはウザいだけで既に、CD、流すんじゃなかったという表情をしている。しかし僕は爪切り貸してと言った彼女の要求を無視し、その懐かしい歌に聞き入ってしまった。 そのエンディングテーマに「弱虫は庭に咲くヒマワリに笑われる」という一節があって、歌の調子に合わせて書くと、「よーわむしーは庭に咲くー ヒーマワリーに笑われるー」となるのだが、この歌詞を聞く限り、「弱虫は庭に咲く/ヒマワリに笑われる」となるのであって、幼い頃の僕は、弱虫は庭に咲くのかも知らんが、じゃあ笑ってるヒマワリはどこに咲いてるんだ。と、疑問を抱いていたのであり、あれから19年の月日が経ち、今一度この歌詞について考えてみようと思った。 というのも、「弱虫」という概念を、「小さな花」もしくは「みすぼらしい花」もしくは「雑草」と揶揄しているのであって、「ヒマワリ」を「豪華」とか「金持ち」とか「強者」に例えているのだろうと、幼いながらもそう考えていたのであるが、これは単に、歌の流れ上、「弱虫は庭に咲く/ヒマワリに笑われる」となるだけで、実際は「弱虫は/庭に咲くヒマワリに笑われる」となって、揶揄も何もない、ただ単にみすぼらしい小公女セーラが庭に咲くヒマワリに笑われているような気がして気分が陰になるということを表現しているだけだったということに19年経ってから漸く気付き、その感動を彼女に伝えようとしたがいつの間にか彼女は昼寝。 |
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