2004年12月05日(日)  板橋事変。
 
夜勤明け。9時30分に職場を出て、CDでも買いに行こうか知らん。と、自転車を走らせ、僕が住んでいる町は立派な商店街があるのだが、ラーメン屋ばかりでCDを売っている店が1軒もなく仕方ない、隣町に行こうと、隣町に向かい、CD屋を発見したのだが、時計を見ると9時50分。あちゃぁ。まだ開店してない。帰ろうかな。どうせ欲しいCDは「東京事変」のアルバムだし。と、ここ数ヶ月僕の中でJーPOPだせぇという風潮があって、たまには日本語の歌が聴きたいなぁと思いつつも、気取って通振ってジャズを聴いたりブラックミュージックを聴いてたりしたんだけど、つい先日、ヒライケンのニューアルバムを購入し、このCDがなかなかいい出来だったので、いいじゃないかJ−POP。全然恥ずかしくない。だから東京事変も恥ずかしくない出来であろうと、勝手な解釈ばかり始め、CDショップの開店まで10分あったが、10分我慢できる意思を得た僕は、意思は我慢できるけど、四肢体幹が寒くて我慢できないので、近くのドトールコーヒーに避難した。
 
こんな朝早くから何用があってこの大衆達は悠長にコーヒーを飲んでいるんだと思うほど店内は人でごった返しており、皆、新聞を読んだり小説を読んだりノートパソコンを広げていたりする。そんなの家でやれよと僕は思うのだけど、CDショップの開店を待っているという間抜けな立場上、ドトールに鎮座する客を責めることはできず、端の方のテーブルを確保し、ブレンドコーヒーを飲みながら煙草を吸いながら。
 
視線を感じる。こういうものは不思議なもので、「視線を感じる」という感じは確かに存在する。一体この感じはどこで感じているのだろう。耳かしらウナジかしらクルブシかしらと考えながら、視線のもとを探ると、齢3つほどの少女がこちらを見て微笑んでいる。そして僕と目線が合うと、ひょいと僕の死角に当たる部分に隠れてしまった。
 
ちょーかわいい。僕は、ロリコンとかそういう性倒錯ではなく、単に子供が大好きなのであって、このようにお茶目な行動を取られてしまうと、僕は前後左右の感覚を失い、その子供の行為の観察のみに没頭してしまう悪癖を持っている為、右手に持った煙草も吸わぬままフィルターの前で燃え尽き、ブレンドコーヒーもなんともいえない温度になり、周囲の大人たちは僕に冷たい視線を送るという、何もいいことなんてないんだけど、僕は気にしない。そこに子供がいるから。
 
しかし子供が好んで用いる、視線が合ったら死角に隠れややあって少し顔を出し再び目線が合うと恥ずかしそうに慌てて隠れるというあの行為は何の意味があるのだろうか。ちょーかわいいじゃないか。飽きることなく同じ行為を繰り返すその姿勢。継続は力なり。雨だれ石をもうがつなんて言葉もあるけれど、そんなこと繰り返したって何の意味もないじゃないか。意味がわからない。意味がわからないけど可愛いから万事オッケー。時々故意に視線を合わさずに、僕はもうキミに興味がなくなった。これ以上僕に視線を投げ掛けても今後一切反応しない所存です。という無言の意思を相手に伝えつつ、不意打ちでカッ! っと目線を合わせた時の慌てふためく少女の反応! ちょちょちょちょーかわいー! ちょっと母親の視線が気になるけど、僕は貴女に用はない。僕は貴女の子供と無言のコミュニケーションを行っているのだ。親は黙ってコーヒーを飲んどけ。と、大人に大してはひどく冷たい反応をする僕はCDを買うことなどすっかり忘れて、ご機嫌になってスキップしながらトイレで小便。
 

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