2004年04月30日(金)  午前9時半の福音。
 
午前9時半。僕は寝ていた。未だ、掛け布団1枚、毛布2枚をかぶって寝ているのは、4月といえども、夜間は冷えるというわけではなく、夏への支度っつうか衣替えっつうか、そういうの億劫で、よほどの気が向かなければ、毛布など通販で購入した不思議な袋に圧縮している暇などはないのであり、午前9時半、僕は寝ていた。
 
午前9時半、携帯が鳴っていた。あぁ携帯が鳴っているね。と布団の中、朝の光の中、まどろみの中、うっすらと感じ、関係ないもんね、僕眠ってるから関係ないもんね、と再び就寝。30分ほど経過し、やっぱり気になる。ちょっと着信歴でものぞいてみようか知らん。と、のそのそとキッチンの電気コンロの横に置いてある携帯、なぜこんなところに置いてあるかというと、現代の携帯電話はアラーム機能という便利な機能がついていて、それぞれの事情に則した随意の時間を設定すると、1分1秒の狂いもなく、その時間に着信音が鳴り響くという便利な機能。
 
しかし、その機能も、寝起きの脳味噌には何の効力も発揮しない。頭元に携帯を置いていると、設定時間に鳴り響いたとしても、うっせーよ。朝からうっせーんだよ。馬鹿。馬鹿携帯。阿呆au。いらぬ機能を搭載すな。電話は人と話す機器ではないのか。餅は餅屋。目覚まし機能が欲しかったら目覚まし時計を買うよ。うっせーよお前。携帯のくせに。と、瞬時にアラームを止め、部屋の隅に放り投げてしまう為、キッチンの電気コンロの上に置いてあると、仮に上に書いたようなことを思っても、怒りの対象がキッチンにあるので、四肢体幹の機能を駆使して、キッチンまで歩いていかなければならない。
 
頭元に置いてあると、脳味噌で考え、希望する行動を、円滑に行うことが可能であるのに対し、キッチンに置いてあると、身体のそれぞれの機能を使うため、キッチンまでヨロヨロ歩くときに睡眠と同時に眠っていた倫理観も目覚め、あぁ、投げるなんて野暮なことはやめよう、もうこんな時間だ。顔を洗ってヒゲを剃って云々と、冷静に物事も考えられる。
 
で、午前10時。着信歴。午前9時半、職場から。職場から。職場!? 何、何、何なの。こんな時間に何の用? こんな時間というのは、午前9時半、仕事が始まる時間であって、9時半になっても出勤してこない僕に対して、ヨシミもう仕事が嫌になったのではなかろうか。これは無断欠勤ではなかろうか。ヨシミも落ちたもんだ。みっともない。みっともないと思っても現場では看護婦が足りないので、みっともない男でも職場に居た方がよい。よって、電話してみようと思って婦長さんは電話したのではなかろうか。
 
しかし今日は日勤ではない。夜勤である。午後4時に家を出れば間に合うのである。だから僕は午後2時に携帯のアラームをセットし、電気コンロの横に置いて、昼夜逆転の生活の準備をしていたのだが、夜勤だということは、朝出勤するのヤだな。夜勤の方がいいな。電車空いてるしね。という潜在的な欲望が表面化して、それが勘違いという結果を生んで、日勤なのに夜勤と一人合点して阿呆のように眠っていたのかもしれないと思い、慌てて職場へ電話。
 
「あぁ、婦長さん。ごめんなさい」
「何よいきなり謝って」
「日勤が、好きです」
「だから何なのよ。ヨシミくん今日夜勤でしょ」
「あ、そうですか。日勤よりも、夜勤が、好きです」
「何? 寝ぼけてるの?」
「寝ぼけてません。動揺しているのですよ婦長」
「何よその傲慢な話し方は」
「すいません。で、何ですか」
「あぁ、えとね、来月からの異動の件、なくなっちゃった」
「や、やった! ホントですか!」
「ホントですよ。私が総婦長を説得したのですよ」
「ありがとうございます! 今夜一緒にご飯なんてどうですか!」
「あなた夜勤でしょ」
「そんなものどうでもいいです!」
「どうでもよくありません。それじゃあ来月からもヨロシクね」
 
午前9時半の福音。異動がなくなった。エーテンがなくなった。部屋をぐるりまわりながら歓喜の舞を送った後、布団に戻り再び就寝。
 

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