2003年11月29日(土)  痛く生きてもイイじゃない。
 
帰宅途中の電車の中で文庫本をうっかり読み終わってしまうと何をしてよいのかわからなくなり、とりあえず周囲にある文字を目で追う。季節柄、大学や専門学校の入学案内の広告が多い。
 
『未来を見つめるキャンパスで、知性を高め、感性を磨く』
 
ありきたりのフレーズである。知性を高め感性を磨くなんてひどく漠然的であり、今の若い者はこんな陳腐なキャッチコピーになんて誰も目を留めない。
 
『母の献立には理由があった』
 
とある栄養大学のコピー。母の献立だけではなく誰の献立にもそれなりの理由があると思うが、今回は私の母の献立の理由に焦点を当てて考えてくださいということだろう。私の母というのは誰の母なのかわからないが、おそらくこのコの母親もこの栄養大学を卒業したのだろう。美味い料理ばかり作っているのだろう。しかしいまいちパンチが足りない。僕だったらこう書く。
 
『母の献立には理由があった。 ※永久就職率99%!!』
 
永久就職なんてしてしまえば不況も倒産もブラウン管の向こうの物語になるのである。
 
『冬の向こうに、春がある』
 
とある予備校のコピー。阿呆のように当然のことを言っている。『コタツに足を入れると、暖かい』『腕時計の針が、時計回りに回る』と言っていることと同様である。春が過ぎたら夏が来る。夏が過ぎたら思い出が残る。思い出を胸に秋を迎え、重い空を見上げると冬が降りてきてコタツに足を入れると、暖かい。
 
『叫びたいほど、泣きたいほど、痛く生きてもイイじゃない』
 
埼玉のとある大学のコピー。イイじゃないときた。ぜんぜんよくない。なぜそんな人の不幸に無責任且つ楽観的なんだこの大学は。じゃあテメェが痛く生きてみろよと言いたくなる。この言葉が受験を目指す学生にどのような影響力を持っているかわからない。そもそも痛く生きるって意味もよくわからない。痔の薬だったら面白いね。
 
『叫びたいほど、泣きたいほど、痛く生きてもイイじゃない』
 
つーか治せよ。治しておくれよと言いたくなる。
結婚相談所だとどうなるだろう。
 
『叫びたいほど、泣きたいほど、痛く生きてもイイじゃない』
 
余計なお世話だと言いたくなるではないか。このコピーは大学としてのコピーには不適切ではないだろうか。僕だったらこう書く。
 
『叫びたいほど、泣きたいほど、痛く生きてもイイじゃない ※就職率18%!!』
 
痛いだろうなぁ。
 
 

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