2003年08月31日(日)  ヴォラプチュアス!
稀に、身も心も奪われてしまいそうな魔性を秘めた女性と出会うことがある。話さなくても、目が合わなくても、ただそこにいるだけで男は焦燥感に支配されてしまう。そういう女性は世の中に確実に存在する。この教室に存在する。大学のスクーリングの一室に、その女性は存在する。その女性は僕の左隣に座っている。
 
僕はこの女性と何度か会っている。会っているといっても二人きりで会うのではなくて、時々こうやって同じ課目を履修して同じ教室で過ごすだけなのだが、嬉しいのか哀しいのか、主に嬉しいのか概ね哀しいのか。兎角複雑な心境で、講義の内容など頭にちとも入らず、チラチラ彼女の横顔を覗きながら、あぁ胸が痛い。これは確実に恋心ではない。心の一部分を恐怖感が占めている。恋心に恐怖感など無縁ではないのか。だったらこれは何なんなのだ。あぁ胸が痛い。近付き難い。たかだか数十センチの距離なのに、僕は絶対手を伸ばすことができない。話し掛けることができない。僕の世界と彼女の舞台に決定的な差があるような気がする。その差がどのようなものかわからない。二十七にもなって、この狼狽をどう説明したらいいんだ。
 
この女性の形容は夏目漱石の『三四郎』のある一節で如実に表現することができる。
 
「ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目付を形容するにはこれより外に言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうして正(まさ)しく官能に訴えている。けれども官能の骨を透して髄に徹する訴え方である。甘いものに堪え得る程度を超えて、烈しい刺激と変ずる訴え方である。甘いと云わんよりは苦痛である。卑しく媚びるのとは無論違う。見られるものの方が是非媚びたくなる程に残酷な目付である」 ※ヴォラプチュアス:肉感的な
 
甘いと云わんよりは苦痛である。僕はその苦痛に堪えることができない。それでいてその苦痛から逃れる対応策を僕は持ちえていない。その苦痛の中に自ら飛び込んでいる風でもある。
 
エレベーターの中で二人きりになったことがある。6階に到着するまでのあの時間の長さといったら! 一言二言何か会話があったような気がする。あのエレベーターの中は彼女が無意識に醸し出した妖艶な空気に満たされていた。彼女はいつも何かに怯えたような目をしている。それでいて決して怯えていない。その瞳は確固たる自信に満ちているようでもある。
 
退屈な講義で時間が止まったよな午後3時。彼女は左隣の机で、ぐっすりと眠っている。決して健康的とは言えない美しさ。残酷な寝息。うつぶせになって顔を僕の方に向けて、いつまでも眠り続けている。僕は身体が少しずつ解体されていくような感に襲われていた。

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