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| 2003年03月08日(土) マフラー。 |
| 鹿児島の夜はもう、マフラーはいらない。随分暖かくなった。今日は3月8日ということで38(ミツバチ)の日らしいではないか。どうりで春が近く感じられるはずだ。ミツバチが蜜と一緒に春の匂いと幸福と僕の至福を運んでくるに違いない。鹿児島の夜はもう、マフラーはいらない。 「え? 外寒いの?」 石油ファンヒーターとホットカーペットで過度に温められた部屋で彼女は僕に訊ねる。僕はまた年上の女性を寝取ってしまった。寝取るだなんてとてもいい言葉ではないが、読んで字の如く、この女性を寝取ってしまった。罪と堕落への道は夜の街を歩けばいくらでも転がっている。そして僕はいつもの如く、罪と堕落への石につまづいてしまった。またしばらく戻れない。 「寒いよ。寒い。しかし、この部屋は、暑いね」 僕はマフラーを取りながら言う。彼女は、数ヶ月前は別の男にそうしていたように、僕のジャケットとマフラーをハンガーに掛ける。僕はそういう家庭的なことをされると、少し照れてしまう。僕は女性にジャケットをハンガーに掛けさせることができる人間ではないのだ。ひどく打算的で、付き合いだしたその日から別れたがっている。 彼女の部屋はワンルームで、まだ、前の男の名残が残っている。週刊SPA! と週刊ゴルフダイジェスト。ラッキーストライクの空き箱。ビートルズのLP。ハブラシもそのコップも、僕の物ではない。そのスリッパも僕には少し大きすぎる。だけど僕は気にしない。僕はひどく打算的で、付き合いだしたその日から別れたがっているのだから。 「そのマフラー、いつも身に付けてるのね」 彼女は意地悪な質問をする。僕はいつも「だって寒いじゃないか」と言ってその質問の明確な答えを誤魔化す。鹿児島の夜はもう、マフラーはいらない。随分暖かくなった。彼女はこのマフラーが手作りだということを知っている。同時に、どうして僕が手作りのマフラーをいつまでも身にまとっているかをも知っている、はずだ。 午前2時。僕は彼女の部屋を後にする。「また今夜」玄関で、軽いキスをする。そして数ヶ月前は別の男にそうしていたように、僕の腕にジャケットを通す。そして「これは、自分で巻くよ」マフラーは自分で首に巻く。いつも彼女はその時に一瞬だけ悲しい目をする。僕にはそれがわかっている。彼女もそれがわかっている。僕は彼女のその瞳を確かめた後、彼女の部屋を後にする。鹿児島の夜はもう、マフラーはいらない。だけど僕にはまだ、この手作りのマフラーが必要なのだ。 |
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