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唄、詩、ギター、リズム、響き、声、強弱、 マイクスタンド、立ち位置、在り方、居方 空気、景色、空間、入り口、出口
その唄が生まれる思いや 感情を、いっさい、とっぱらって考えた時、 急に、うだうだと、上に書いたような 要素が一つに一瞬にして凝縮されないと 曲というのはその輪郭を持たないのかもしれんと 思った。
今日のLIVE、唄っている途中から 今まで見えてなんか来なかった その唄の幻影が現れて それを必死で「消えないでくれ、消えないでくれ」 って思いながら唄っていた。
あまり強く唄うと、びっくりして 消えてしまうと思ったから、 僕はその幻影を眺めながら、 ある種、何にも考えず、見とれて唄っていた。
結論から言おう。 今日のLIVEを録音したMDを 冷静に聞き直すと
とっても、音痴なLIVEだったんだ。
ちょっと気付いた事がある。 アフリカの砂漠に住む原住民を前に ただ「コカコーラ」と叫んでも きっと、なんの事かわからず、引くだろう。
じゃ〜 自分が真夏のカラカラに喉が乾いている時に コカコーラを飲み干した気持ちを思い浮かべて 「コカコーラ」と噛み締めて叫んだら どうだろうか? アフリカの原住民は何か感じるだろうか? きっと少しは興味を示すかもしれない、 全く関係ない事を思い浮かべたり 「この人何言ってんだ?」と思ったり 一緒になって「コカコーラ」と言う原住民もいるかもしれないが 「コカコーラ」がなんなのかは、わからないだろう。
では、 アフリカの砂漠のど真ん中で 自分がカラカラに喉が乾いて倒れた時 目の前に「コカコーラ」の幻影が見えたら どうだろう。 それを言葉にするとなると 「コカコ〜ラ〜」と手を伸ばし つぶやくかもしれない、叫ぶかもしれない、 眺めるだけかもしれない。 ただ、それを聞いたアフリカの原住民は 「きっと喉が渇いたいるんだろう」と思うかもしれないが、 「コカコーラ」の事とはわからず そして自分はその幻影をただ追い掛けているだけ。
それならば、 アフリカの原住民に、想像力ではなく 完全に、この飲み物は「コカコーラ」だって言う事を わかってもらいたいのなら、どうするか。 現物を手に持って、目の前にかかげて、 「コカコーラ」と叫んで、自分が飲んだあと原住民にも 飲ましてあげて、はじめて「コカコーラ」が なんなのか、どんな味なのかが わかるのだと思う。
話を音楽に戻そう。 音楽には形が無い。 聞いてくれている人たちの前にも 何か現物があるわけでは無い。
あるのは音とミュージシャンだけ。
ミュージシャンが 自分たちから生まれた曲の味を理解しお客さんに、音で提供している。
そしてお客さんも、その味を自由に解釈してお腹いっぱいになる。
ミュージシャンは その曲の持っている、味や空気や景色や色や自由を感情をこめて 音にするんだとおもうが
本当に入り込んだ時、目の前に現物が実際に現れ それを、ただ見とれるだけじゃなく 「ほら、これだよー」ってお客さんの目の前に提供出来た時、 その唄は、音とか現物とかをとおりこした 時を止められる説得力となり、とんでもない空間に なるんじゃないのかな〜と思った。
僕が好きな一流のミュージシャン達は きっと、それが出来ているのだろう。
目の前に現物が現れ それに見とれながらも、追い掛けながらも 芯があるから、そこから揺るぎなく 思いっきり、唄えるんだろう。 幻影と思いっきり戦えるのだろう。
だから一つ一つの唄が しっかりと輪郭の持った 世界となり固体となり 唯一無二となり 僕の心や体のあちこちに こびりつくのだろう。
芯があるから出来ることなんだと。 曲が生きてくるんだと。
そして僕もそんなミュージシャンになりたいと。 そんな曲を生んで、生きさせたいと思った。
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