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2002年12月26日(木)
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報復 |
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手にしました。 はい。馬券で儲けた20万6千3百円。 あぶく銭は遣えと教わって育った私は、一昨日の夜、既に『ご祝儀じゃ』と言って母上に一割差し上げて参りました。 勿論、購入&換金してきたお相手には、もっと差し上げました。 気前の良さだけは、いっちょ前の私です。
突然ですが。「人を呪わば穴二つ」という言い伝えを御存知で? 人を呪うと自分にも返ってくるという・・・ だからと言う訳ではないけれど、私は何をされようとも、相手を出来る範囲で許します。 っつーか、忘れます。忘れる努力と、良い方向への解釈へ全力を注ぎます。 これが不思議な事に。その努力は必ず報われています。 いや、それもこれも、私の物の受け止め方一つの問題なんでしょうけどね。 自分で相手に何かをせずとも、それを帳消しに出来るような事が後々起きる訳です。
父上も、少し私に似ておりました。っつーか逆?私が歳とってからの父上に似てるんですな。 若い頃には、きっと人を憎んだ性格だったであろう父上も。 歳を取るごとに丸くなり。数々の仕打ちを飲み込み、相手を憎まず、付き合いを切らずの人でした。 そんな父上の口癖は、「俺をバカにした人は、みんな後で罰が当たる」と。 これは、普通に聞いたら怖いし、まぁ、罰当たりと思える事が起きたとしても、偶然なのかもしれない訳で。 相手がその通りになった時に、そう思う事で父上は過去の事を流したんじゃないかな?と思う訳です。 だからと言って、相手を「ザマーミロ」と思えるほどでは無い訳で。 要は、『普段の行い』『相手にした事は自分に返ってくる』ってことを、父上は信じていたのでしょう。
私が覚えてる中で、かつての父上が働いていた工場の社長さんがおりました。 その社長さん。幼い私にも、何か伝わるものがあったのでしょう。物凄い怖いと思っていた人でした。 父上に対する態度も、偉く威張った感じで、とても懐けそうにも無い人でした。 余談だけど、そのお宅にお邪魔した際に、小さい私はその家を 「お菓子の家みたい〜♪お城みたいだね〜♪」と言って喜んだそうです。 お金持だったのですな。
その社長さんが、私が高校生かそのぐらいの時、病に倒れ、後遺症で歩く事も喋る事も出来なくなってしまいました。 私がそうなってしまった社長さんに会ったのは、父上がお客さんを招待して接待していた地引網の時でした。 父上が、車椅子の社長さんの所へ行くと、おいおい泣き出しました。 握った手を、なかなか離さずに居るその姿を私は遠くから見て、なんとも言えない心境になりました。 どんな相手に対しても、「根は悪くは無い」と庇う父上の人に対する想いは、相手にもちゃんと伝わっていて、報われたのだと感じました。 一緒に旅行に行った際の写真には、その社長さんの頭に△帽子を乗せて、隣でニカニカ笑う父上が写っています。
そんな訳で、この話は今回の馬券につながります。 ここで不幸自慢を一つ。2週間ほど前だったでしょうか。 私とお相手は、くだらない大喧嘩をしました。ヤツが飲みすぎていたから余計です。 その時、私はシチューをコトコト煮込んでおりました。 ところがです。 ルーも入れ、もう出来上がったそのシチューを、事もあろうにヤツは捨てやがりました。 後で、申し訳無い事をしたとヤツは謝ってはいましたがね。 普通、この行為は許されないものじゃないか?と私は思うのですわ。 自分が作ったものを捨てたということよりも、食い物を粗末にする行為が許せません。 だから、言ってやりました。
私はいいけど、アンタ、きっと罰が当たるよ
ってね。当然でしょう。 勿論、私だって、頭にきますわな。流しきれるもんじゃぁ〜ありません。 シチューを作ったらそうなるっつー、トラウマになりそうでしたわ。 だから、あの馬券を買いに行っている朝、シチューを作る事を少々躊躇いました。 でも、トラウマは嫌いです。負けません。なので、作りました。
「タップダンスシチー」なんてシチューみたいだ
とかほざきながら、作りました。 帰ってきたお相手は、美味い美味いと言って食べてました。
さて。もう、お分かりっすね? 私が当てた馬券は大穴でした。ぜってー無理そうと思われた
「タップダンスシチー」が逃げ切ったおかげでっ!
ぎゃははははは。 これ以上、痛快なことはありませぬ。 シチューの恨みを、シチーで返しましたっ!
シチューの報復ですっ!
いやいや、偶然っすよ? 『シチー』を『シチュー』に賭ける人間が、私以外にいるかどうかも微妙っすよ? でも、あっしは、お天と様は見ていたんだと思いますぜ。旦那っ!
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