2002年09月18日(水) |
授業6日目:教育評価と老年看護学 |
三連休明けの授業はちょっときつかったですよ。 ついでに本日は禁煙です。帰りにそのまま食事に行くので(え?) それでかどうかは知らないけど、異様に眠かったです。
さて、AM教育評価。1回目(2回授業があります) 教育の課題(問題)としては、 「コミュニケーションの閉塞」 「飼い慣らされた主体性」 「学習された無力感の克服」等。 因みに「学習された無力感」というのは、会議とかで何にも言わない人達の気持ちかな。 疑問とか不満とかがあったら、言うべきだと思うけど、 言ったら迷惑が掛かるとか、自分と関係ないとか、早く終わって欲しいとか… 色々な理由で「言ったってどうせ変わらない」と最初から言わない。 それは、学校教育に問題もあるみたいです。
評価についても、評価される側には評価に対して否定的なイメージがあるのに対し、評価する側には肯定的なイメージがあるというズレがある。 理由としては、評価はその方法論とかを学ぶと肯定的なイメージが強くなる(評価の良い所が見えてくる)のが、原因とされてます。 そのズレをなくす為には、評価する側が、評価される側の否定的なイメージを受容し、その上で関わっていく事が大事。
学習への動機付けとか、評価は客観性が大事といわれた歴史とか、その辺も説明されつつ。
結局、評価者は対象を評価するだけでなく、自己評価も行っていく事が必要。と。 心理学とかも影響してきそうだな。とか思いました。
で、PM老年看護学と実習。 一言でいうと楽しくない授業。 何だか、看護学生に戻ったみたいでしたよ。 知っている事を説明されても…ねぇ。 老年は個人差が大きいとか、なぜ老年なのに「発達」課題があるのかとか、 知ってますよ。いくらなんでも。 で、それが学生さんにどんな意味があるのか?実習ではどんな事を学ぶのか? なんて事は二の次だったもんなぁ… 挙句「我が校では」ばっかり。 じゃあ自分の学校の教育方針に使用されている言葉位理解していて貰えませんかね。 …あぁ、愚痴ばっかになってしまった。 愚痴ついでに先生が学生の一人に質問されて答えられなかった学校の教育方針の中の言葉「スピリチュアル(霊的)」辞書で調べてみました。 Spiritual : 霊的な;精神(的)の;神聖な;崇高な;宗教の,教会の.
ついでに私的見解(あくまで私的です違うかも…) 八百万の神&自然信仰が根底にある不可認的存在。 もしくは実在しない存在。 微妙にアニメ思い出していた自分ですが…こういう知識も「形成」?
で、これを授業の感想に書いた私。けんか売ってる訳ではないんですよ。
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