一日同じ授業。約5時間半…いや、休憩もあるし、 90分弱を4コマって感じでしょうか。
その教育論。 案の定、教育とはなんぞやってやつでした。 でも、そのでだしに至るまでに30分。 挙句貰ったプリントの最後を最初に喋ってた… こういう先生好きですけど、雑談に集中できないのは何故? (学生時代は雑談になると、目が覚めるタイプだったのに)
教育学では「教える事・学ぶ事」を「教育」と「形成」に分類。 さて、教育とは?=「意図的に教える事」 その「教育」も「学校教育」と「社会教育」に分かれます。 (「形成」とは、なにかをした結果、教えられた・学んだりしていた場合を指す)
とりあえず、そんな解釈をしてみたり。
ではなぜ、教育を重要視したのか? ・教育学が追求したのは「理性的人間像(自分で考え、判断し、決断し、行動できる人間)」。 この「理性的人間」が理想の社会を作れるという考え方があって、戦後、教育の力で近代社会を作ろうとしたそうです。 教育法とかには、まだこの考え方が残ってます。 でも、人間ってそうじゃない。 「判っているけど出来ない」のが人。 でも、教育学ではそれを認めないんだそうです。えらいな〜(何が?)
ま、とりあえず。 現在の学校教育の問題は、受ける側の記憶に残りにくい事。 経験的な「形成」の方が、記憶に残るものだよ。と。 昔からの講とか、色々近代教育成立前の事も見なおした方が良いよ。と。 (ばば講っていうのが、恐山殺人事件に載ってました…ちなみにこういうのも「形成」だろうな) 他にも自助グループとか生涯学習(通信教育ではありません。念の為)とか色々新しい試みもされてます。
そんな感じ? それがどう実習指導と繋がるのかというと…無理か(笑 んと、教える・教えられるという立場の壁を取っ払っわないと駄目。 ついでに若者の心は、傷付き易い。と ま、今後も教育論の授業は続きます。
明日は授業。でも、明後日から合宿です。 準備もしないと…何もって行くんだっけかな?
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