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A to Z まとめ - 2006年10月27日(金)

まだ書くの〜って思われてしまうかな。
でも、本当に大きすぎる経験で。
今でもあの倉庫にいたことを思い出すといろいろ蘇って、
すぐに胸がいっぱいになって涙腺を刺激するのです。
自分の中で「以前・以後」があるとしたらフリッパーズくらいだと思うのですが、
「AtoZ以前・AtoZ以後」も確実にできてしまったと思う。

私が一番泣けたのは『PATY ROOM』のソファに座って見た
「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」の立体文字でした。
過去の奈良さんの吉井酒造でのタイトルとして何度も見たことあるのに
あの日は特別胸が締め付けられました。

私があの倉庫で感じた優しさは単純なものじゃなくって
いろんな悲しみを知っているからこそなんだろうな。
「絵を描くときはいつも何かと戦っている」
何かっていうのは、『無責任な距離の不理解』もあるんだろうな。
そしてそれは残酷なことに誰でもが持っていると思う。
誰もが持っているからこそ、誰もがそんな悲しみに遭遇してしまうわけで。
だからたくさんの人があの空間に共感して想いを残していったんだろうな。

普段は自分が好きな音楽のイベントやライブが
なかなか青森では体験できないから色々遠征しているけど、
このA to Zを見るためにたくさんの人が一念発起して
日本中の色んなところから青森を目指してやってくる様子を
AtoZのBBSで探しては共感したり不思議な気持ちになったりしていました。


そしてゆうべ更新されていた奈良さんのブログ
この文章を読んで改めてこの人のファンで良かったな〜と思いました。
これを読んだらもうあと何も書くことないかもって勝手に満足してしまいました。

敢えて引用なし。興味を持った人だけ読みに行ってください。
コチラ



初めて奈良さんの展示を見たのは2000年の「キッズアートワールド青森」というイベントでした。
県立郷土館で、奈良さんと一緒に展示を見て回るという贅沢な企画。

その時の写真を見返していたら、なんと奈良さんのみならず展示も写真撮り放題、
立体作品は触り放題というかなり太っ腹なイベントだったということを思い出しました。
今は県美の「ニューソウルハウス」にいる犬ちゃんとこんな写真も。



gm:Hで奈良さんと写真撮る時
「前にも撮ってるんだからタイミングがなければ無理しなくても」
なんて思ってたんだけど、2000年はサインはもらったけど、
写真は友達のを撮ってあげてて自分は一緒に撮ってなかった!
撮ってもらってよかった…

さらにものすごいことを思い出した!
なんとこの郷土館で私は奈良さんのお母さんとお話をしていた!
何故か年配の女性に話しかけられ、話してるうちに、
「母親なんですけどね」とかそういう台詞を
流してしまいそうなタイミングとテンションでポロリと言われて、ええ!となったんだった。
忘れてる自分にびっくりしたよー。
『ほぼ日』の糸井さんとの対談でも母親の話をしているのに
ちっとも思い出さないで全然違う女性をイメージして読んでいた私って…

その時の展示室の壁に描かれた奈良さんの絵。
サインは平仮名で「なら」といたってシンプル(笑)



すごく覚えているのが、この時の奈良さんは
「弘前は生まれて高校まで過ごした場所っていうだけでそれ以上特別な想いとかはない」
って言っていたんです。ちょっとショックだったからハッキリ覚えてます。
でも、吉井酒造煉瓦倉庫のオーナーに声をかけてもらったり、
grafと出会ったり、ボランティアとの共同作業で充実感を得たり、
奈良さんも変わって行ったんだなあって。
私もこの頃は東京より遠くへの遠征は考えていなかったのに
福岡や京都に行くようになったり、出会いによって意識が変わったと思う。

6年前にはそんなに感じなくて、今回感動しまくりだったのは、そういうこともあるのですよね。


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