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■ 自分の感受性くらい
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
と、いきなり頭殴られて叱られたような気持ちになった、 茨木のり子さんの詩を読んだのはまだ10代の頃だったとおもう。以来ずっと心のどこかに留めている。 友人Tが貸してくれた詩集だった。
混沌としていて独りよがりで気持ちが剥き出しで力が入っていて苦しかった二十歳まえ。
その頃、将来の夫となるなんて夢にも思っていなかったJGが私に言った。
「感受性が強いのは素晴らしいことだと思うよ。でも、それで自分がだめになっちゃうっていうのは違うな。いろんなものを受けて傷がついてもちゃんと立っていられるくらい強い人が持つ感受性の豊かさが素晴らしいと思うよ。」 というようなことを。
自家中毒をおこさない感受性。これは友人Tが最近言っていた言葉。 そうね。 受けてもきちんと立っていられるよう、寧ろ、のほほーんと脱力していられるよう、 固まるな、固まるなと呪文のように唱える。
「認識と体験を超えて純真であってはじめて純真なのだし、 世俗に傷つけられてなお美しいのが、ほんとうに美しいこと。」そうでした、そうでした。岡部伊都子さんもそうおっしゃっていた。
とあることがきっかけで、自分の中の、しばらく開けていなかった引き出しを開けてみた。 捨てたわけではない、ただ仕舞っておいただけ。あまりに懐かしく、そして実は今の私にとても必要かもしれないものたち。 ひとつずつゆっくりと再び手にとってみている毎日。どうしてこんなにわくわくするんだろう。
2003年12月13日(土)
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