初日 最新 目次 MAIL


95050
seu
MAIL

My追加

2005年07月31日(日)
占い

占いというのは、信じる。雑誌の後ろに載っているものや、細木数子なんかは知らんが、古いジプシーに起源を発するというコーヒーカップの底のしみ占いなんかは、なにかある気がする。つまり、世界というのは重層的であってひとつの時間空間に、実は知覚できないいろんな相があらわれている。というか、単層といってもいいのだけど、ハチの目が見る世界と人間の見る世界と放射能測定器の見る世界とはちがったふうにとらえられるわけです。

私が今朝飲んだコーヒー及びカップには、私及び私をとりまく環境運命、つまり風、同じ風がふいている。その風向きを知らせてくれる旗のような役割が、様々なささいなものにある。別にコーヒーカップのしみでなくてもなんでもいいのかもしれない。

空気は目に見えないけれども、雲があることで空気の流れが目に見える。そのように、身の回りを流れている目に見えない運命の風、流れを、目に見せてくれるもの。その徴を読み解くのが、占い師としての能力の高さなのではないか。どれだけ受信能力の高いアンテナを持っていて、高解像度のカメラをもっているか。それに増して尊いのは、経験則。膨大なデータでしょう。ある事象とある事象の対応の記録、蓄積。洋の東西を問わず、占術というのはけっこうな学問になっています。

ここまで書いておきながら俺は占いなんてだいたい信じませんが、「風」の存在はあるんじゃないかと思っています。読み取れないだけで。読める人がいないだけで。