michiyonのしあわせ探し
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2002年08月03日(土) 自分へのメッセージ

日記という名のもとエッセーを書き始めて3ヶ月ほどたちますが

今まであまり言葉にすることもなかったような自分の心の声を いろいろ語ってきました。


考えて見ればこうやって自分の思いを言葉にして 

しかも誰の目にも簡単にふれることができる場所におくということは

公園で大勢の人を前にパブリックスピーチしているのと変わらないことなんですよね。


そう考えると すごく大それたことをしているような気がしてきます。


私の書いたものを読んで、共感してくれる人もいれば

自分はそうは思わないっていう人もいるでしょう。


感じ方も価値観も人それぞれ。それは当然のことだと思います。


インターネットがパブリックスピーチと大きく違うところは

そういった反応が 相手の発信なしには気づけないところです。


目の前にいる人なら たとえ言葉にしなくても その態度や雰囲気で

なんとなく その人の思っていることが わかるものです。


でも インターネットでは それを感じることはできません。


日記といいながら 私が書いているもののほとんどは 書いては読み 読んでは直し

何度も何度も読み返しながら 時に迷いながら 公開しているものばかりです。


心に思っていることを言葉にするのは とてもむずかしいことです。


それをどんな言葉で どんなふうに伝えれば 一番誤解がないのか… 

言いたいことが素直に伝わるのか…


でも 私が日記に書いていることは、ほとんどが自分自身への 応援メッセージなのです。


誰かに向って言っているというよりは すぐにくじけそうになる自分に向って

もうひとりの自分が 一生懸命勇気づけているのです。


誰の心にも 天使の自分と 悪魔の自分が 存在しますよね。

そして その双方がいつも闘って闘って 

みんななんとか折り合いをつけて生きているのではないでしょうか?


ま、最近 悪魔の方が力を持ってしまった人も増えてはいますが…。


心って不思議ですよね。

日々考えていることが変わっていったりする。


だからね。ここでえらそうなこと言っていても それが私のすべてじゃないんです。

それは ある日のとってもりっぱな自分だったりする。


別の日には全く違うこと考えてたり…


でもね それが人間じゃないかって思うんですよ。

神様じゃないんだから いつもいつも いい人ではいられない。


こうやっていろんなこと書いていても 時間がたって読み返すと

え? これ本当に私が書いたの? って思う時もあったりして…。


私 よく誤解されるんです。

いえ もしかしたら誤解じゃなくて それが本当の自分なのかもしれないけれど

自分では よくわからないんですよね。


私が言葉にしたことは たいていすごく真剣に受取られちゃうんです。

考えに考えぬいて しっかりとした考えをもって言った言葉なんだなって受取られちゃう。



でもね。O型の私は 実はそんなに深い意味があって言ってなかったりするんです。

これって いいことなのか 悪いことなのか…


ずいぶん前のことですが、いろいろな事の成り行きで、

会社をやめてイギリス留学しようかなと思った時

自分の中では まだ決心がついていたわけではなかったんですが…


そのことを両親に話したら

「お前がそこまで決心しているのなら行って来なさい。」と言われ…


会社の上司に相談したら

「君がそこまで決心しているのなら仕方がないね。」って 誰も止めてくれないんですよ。


結局それで 気がつくともう行かなくちゃいけないことになってて…。


今考えてみれば それがいい意味で私の人生の大きな転機になっているんですけどね。


人によっては 真剣に言っているつもりでも まじめに受けとってもらえないっていう人や

私みたいに 深い意味はないのに 深くとられてしまう人がいたり


心を伝えるのは 本当にむずかしいことです。



でも 自分の心の中のことさえ 完全にわかっているわけではないのですから

ましてや 人の心を理解するなんて きっと不可能に近いことなんでしょうね。


人の心は永遠の謎です。

だから 言葉にできる時に言葉にして 客観的に自分に語りかけることも

自分を知るいい方法なのかもしれません。


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