窓のそと(Diary by 久野那美)
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「ここはどこかの窓のそと」は<変わってしまったおんなじもの>、の物語だった。 秋が冬に変わったり、知らない相手が知っているひとになって、昔知っていたひとに変わったり、図書館が代替わりしたり、宇宙飛行士が怪獣になったりした。
あの頃はジャミラのことを考えていた。 水のない星に置き去りにされて、水を求め続けるうちに水の嫌いな怪獣に変身してしまったジャミラ隊員。地球へ戻り、水をたっぷりかけられて死んでいった怪獣ジャミラ。
ずっと気になっている。 ジャミラは水を憎めばよかったのか。愛すればよかったのか。 ジャミラにとって、水は憧れだったのか恐怖の対象だったのか。 彼は何を求め、何を得られずに消えていったのか。 水のない星で、何をなくしてしまったのか。
最近、あるひとにこう言われた。 「たっぷり水をかけたりするから死んだんだよ。 少しずつ少しずつ時間をかけて湿らせてやればそのうちもとにもどったんじゃないか?」 そのひとは医者をやっているひとだったのでさらにこう付け加えた。 「ジャミラが僕の患者だったらそうするな。」
衝撃的な意見だった。 だとしたら。それはとりかえしのつかない悲しい変化なんかじゃなかったんじゃないか!
移りゆく時間の流れの中で、自分と世界を同時に肯定するためには<変化>をひきうけなければならない。それは素敵な解決だし、とても幸福な解決だと思っていた。同時に、その幸福はある種のとりかえしのつかない悲しさに裏打ちされているのだと思っていた。矛盾するふたつの状況にどうすればうまく折り合いをつけることができるのかわからなかった。そんなとき、ジャミラのことを考えた。想像の中のジャミラはとても悲しかった。
だけど、そもそもそれが<とりかえしのつかない変化>なんかじゃなかったんだとしたら???
ジャミラに毎日少しずつ、じょうろで水を掛けよう。 少しずつ、少しずつ。長い長い時間をかけて。 そうすればいつか、水をたっぷり与えても死んでしまわない新しいジャミラに変身する。 彼は水を求め、それを得られる幸福を再び取り戻す。 なんて素敵な結末だろう。
ただ、そこでの解決が「もとに戻る」ことであってはいけないような気がした。 ジャミラを<治療>するお医者様に言いたいと思った。 もとにもどるのではなく、ジャミラは再び変化するのだ。 いや、三度でも四度でも、環境に合わせてどこまでも変化し続ける。 だって、それが水のない星でも生き続けた、<生き物>としてのジャミラの才能だったんじゃないか。だって、それが水のない星でせっかく身につけた、生きるための技術だったんじゃないか。
もとになんか戻らなくていい。 どこまでも、どこまでも変化し続けよう。
水のない星で生き続けたジャミラは、水のある星でだって再び生きられるはずだ。 おなじだけの時間をかければ。 空気のない星でだって。引力のない星でだって。食べ物のない星でだって。
<とりかえす>ことを望まなければ<とりかえしのつかないこと>なんか起こらないのだ。
ジャミラは何もなくさなかった。 秋が冬にかわった時。誰もなにもなくしたりはしなかったのだ。
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