窓のそと(Diary by 久野那美)

→タイトル一覧  過去へ← →未来へ

2000年11月19日(日) 手が埋めているもの  

ひとと話すときに動く「手」には2種類あるような気がする。
話の内容をより具体的に表現するために動く手がある。いわゆるジェスチャー。
一方で、話の内容と全然関係のない動き方をする手がある。

落ち着かないときにせわしなくこすり合わせる手。
意味もなくリズムを取る手。
服や指をもそもそといじる手。
宙をさまよう手…。

話の内容を補足するためではなく、話と自分の隙間を埋めるために動く手なのだ。ことばではなく、ことばのない部分を補足して動く手なのだ。
水中で、もがいて水を掻く手のように。
そこでは、前提になるのは「泳ぐ」という行為ではなく、水と自分の存在であり、「沈みたくない」という気持ちだ。
「自分の言葉」ではなく、相手と自分の存在であり「伝えたい」という気持ちだ。

稽古場で、役者さんの手を見ていて気がついた。
初対面の奇妙な相手との微妙にかみ合わない会話を、
「相手がそこにいることも自分がそこにいることもどっちもOKになるように素敵にやっちゃって下さいな。」
とお願いしたら、いつからか登場人物の手は無意識に宙をさまよいはじめた。

誰かととっても一緒にいたいとき
誰かに何かをとっても伝えたいとき。
いつも、ことばは「足りない」、と思ってしまう。
「違う。言いたいのはそういうことじゃなくて。」
「何言ってるんだろ、私…。」
「でもことばにするとこうなっちゃうよ…。」
話す端から零れてくる言い訳

でも、ひとはことばの限界をこんなに無意識にひょいひょいと超えていこうとする。
どんなに宙をかき回したとしても、結局のところ手の長さより遠くへ行くことはできないんだけど、
でもその手は確実にどこか「ものすごく遠いところ」へ向かって伸びていこうとする。

稽古を見ていて。宙をさまよう不器用な手を、私はとても優しいと思っていたんだけれど、
その理由が少し、わかったような気がした。


→タイトル一覧 過去へ← →未来へ


↑投票機能がついてるようです。よろしければ・・ ・・・My追加
日記作者へのメールホームゲストブック日記以外の作品