窓のそと(Diary by 久野那美)

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2000年11月13日(月) ジェットコースターと兎  

自分が「自分のような状態」であることに疑問を感じずにすみ、自分が「自分のような存在であること」に疑問を感じられずにすみ、予測のつかない刺激や危険におびやかされることなく存在できる状態を「健康的」というのだと思ってる。

「健康的」という言葉を聞くと、ジェットコースターを連想する。刺激や恐怖すらも手の内に収めてしまった遊具。ジェットコースターがある日、レールを踏み外して空中へ飛び出していくかもしれないなんて誰も考えない。思いもよらないことは何ひとつおこらない。何一つ起こらないなかに、ちゃんとドキドキもワクワクも存在する。
これこそ健康的の極致だ。遊園地にはジェットコースターがなくてはいけない。ジェットコースターのない遊園地はなんだか違うと思う。

反対に。
「不健康」という言葉を聞くと、私は何故か兎を連想してしまう。
兎は「よくわからない」。そもそも字が怪しい。何を考えてるのかわからない大きな目も怪しい。食べることさ面倒くさそうな無表情な顔も、あんなに耳が大きいのに自分では音を出さないインプット主義な生き方も怪しい。
きっとみんなそう思ってる。だから小学生に埋められるのだ。コンクリートブロックをつけてプールに沈められたりするのだ。学校の兎小屋で大量虐殺されたりするのだ。猫や犬はそんなことされない。想像の範疇にいるから。殺されるにしても埋められたり沈められたりしない。

遊園地にはジェットコースターがなければいけないと思う。たくさんのひとがそれを楽しんでる状態は正しいと思う。
そして兎にはそのままで居て欲しいと思う。漢字には怪しげな「、」をつけたまま、音を自分の中に溜め込んで、死ぬまで無表情に人参をかじっていてほしい。それは正しいのだ。埋められたとしても。沈められたとしても。

以上。「健康」について私が思うこと。


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