2008年11月19日(水) |
元厚生事務次官テロ事件
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> 殺されても仕方ない とか > むしろ犯人には犯行声明を出した上で 絶対に捕まって欲しくない などと、言っている阿呆(犯罪紛いのことをして議員を辞職勧告決議された魚沼サポートサービスっていうギフト屋。まったく人格を疑う。自営業者だから何を言っても許されるとか言ってるし…。勘違い野郎だな。)もネット上にはいるが…。
この事件は、単なる凶悪事件の名で片づけられるようなものではなく、国家転覆を狙うテロ事件として考えていかなければならないような事件であろうことは容易に想像できる。テロなのであれば、当然のことながら、行為のすべてをいかなる理由があろうとも正当化するという態度は決して許されないものであると考える。
今日の政治手法に対する閉塞感が、テロに訴える勢力によってテロの理由とされていくとき、法治国家としての態様は崩され、民主主義を基盤とした政治的な過程が否定されてしまう。本来、暴力によって解決してはならないものを、絶望のひろがりによって、大衆は、ポピュリズムは、求めがちになる。
日本の世の中は、そこまで堕落しているのか?そこまで絶望感が蔓延しているのか?この社会にもう希望はないのか?
これは、テロの犯人や官僚、政治家だけでなく、日本人一人一人に突き付けられた緊急の問題である。
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