【一瞬の命の味わい】
朧月に見蕩れながら温くなった麦茶を口に含んだ。 「いい月ですよ。此処に来て一緒に見ませんか…」 奥の部屋に向いて声を掛ける。視線を戻すと月に影のような雲がかかっていた。
「ああ、雲がかかってしまいましたね」
さわさわと風が吹き髪を揺らす。窓辺から見える向かいのケヤキの木も穏やかに揺れている。奥からやってきたあの人は風呂上りの身体に細かい汗を浮かべ、その手には表面にやはり同じように汗をかいた缶ビールを二本持って、窓際のベットに腰を下ろした。 「さっきはほんとにいい感じの朧月だったんですよ。うん、なかなかいい感じでした。ほんと、一瞬なんですよねぇ。あ、雲が切れてきましたよ…」 月を見上げる。薄紙のような雲が流れて行き、さぁっというふうに柔らかい光が辺りに満ちる。さっきの雲がまるで月を磨きこんでいったのかと思うほど、明るく澄んだ光だ。とてもきれいだ。さっきのも良かったが今度のもとてもいい。見惚れていると肩を抱かれた。
「月に見蕩れてるあなたに、俺は見蕩れます。」
耳元で囁かれるその声に、自分を見詰めるその視線にうっとりする。その視線で陽の光にあたったみたいにぽうっと熱くなる。
「…いま。あなたを抱いていいですか?」
月の翳らないうち。その囁きで肩頬を撫でられそっと押し倒された。…くらくらする。頷きたくなる。でも。 「あぁ。また翳ってしまいました。」 月を指差す。彼がその先に視線を向ける。 「ねぇ、ビール飲みませんか……」 自分の月を差した指に口付けながらうんともううんとも聞こえる答えをする彼。 「ビールの飲み頃は一瞬ですよ…ねぇ、いまでしょう。」 窓枠に置かれたビールの表面につつうと水滴が伝う。 「ビールはまた冷やします。俺はいまあなたを味わいたいんです。」
自分に覆い被さりながらこんなことを言う。
「一瞬も、惜しいんです」
薄い汗の匂い、明かりを落とした部屋で目だけがうす青く、強い光でもって自分を捕らえている。もう横たわっているにもかかわらず身体全体が傾いでどこかへ落ち込んでいく。そんな感覚。
ああ。
やっぱりだ。
酒よりも月よりもこの人に酔わされる。
自分と、彼と。
この一瞬の命の味わいに。
【題名だけSF短編から貰ってます。】
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