空のむこうにみえたもの
美空:misora



 つれづれ日記

鬼塚ちひろさんの歌詞の中にこのような歌詞がある。

『貴方が触れない私なら 無いのと同じだから』
『貴方に触れない私なら 無いのと同じだから』

傍に居てほしい人がいる。
でも、触れられる距離で傍に居続けることは難しい。
ならば心だけでも傍にあれば良いのかと考えたが、音信が途絶えてしまえば昔と何ら変わりはないのではないかと思ってしまった。
出逢う前は、いつか逢えればいいなと思っていた。
実際逢ってみると、逢いたさはどんどん募るばかりで、逆に息苦しさを感じるようになっていった。

目の前には、越えていいのかわからない山があって、渡っていいのかさえわからない谷がある。
越えたら何が見えるの?
渡りきったらそこには何があるの?
そんな疑問が頭の中をグルグルと駆け巡る。
その先に誰かが待っていてくれるなら、どれほど険しい山道であろうと、垂直に反り立った崖であろうと、どうにかしてたどり着こうとするだろう。
だが、誰も居ないのなら・・・?


どうしてHNが「そら」なの?と聞かれたことがある。
その時は多分曖昧にごまかして何も答えなかったような気がするが、このHNをつけたのにはちゃんと理由がある。
勿論HPのタイトルだって同じように理由があるし、日記のタイトルを今のものに変えたのにも同じように理由がある。

私は昔から空が好きだった。
いつも、目の前に広がる海を見て、遠くの山を眺めて、そして山の向こうに見える空を眺めては、その先に何があるのかと考えていた。
それらを全て盛り込んだのがHNとHPと日記のタイトルだ。
(実はメールのアドレスも好きなものが並べてある)

愛しい人は、すぐ傍ではなくいつも空の向こうにいた。
南の空を眺めては、今頃何をしているのかな・・・と思いを馳せていた。
(それは中学の頃から今でも変わらない)
HPにはそんな想いが詰まっている。
日記には、人と関わることで見えてくる人の心の裏側のことが。
HNは言うまでもないが好きなモノを使った。


私が思っている空は水色の空だ。
夏の突き抜けるように真っ青な空でも、真冬の低くくすんだグレーの空でもない。
冬から春へ移り変わる暖かな日差しをもたらしてくれる空の色であり、夏から秋へと移り変わる少し哀愁を帯びたような空の色でもある。

ちなみに最近のお気に入りは、駐車場から眺める空だ。
そこは7階で地上よりも少しだけ空に近い。
エレベーターを降りると見下ろす形で目の前には大きな病院があって、その病院を見るたびに“遠いなぁ〜”と少々センチになって、そんな気持ちを抱えて(要するに毎日なのだけど)車へと向かう。
そして空を眺めて少しだけ元気を分けてもらって家路へとつくわけだ。



久しぶりにこんなに書いている気がする。
昨日、どうにもこうにもバランスが取れなくてね・・・。
なんか、絡むね。とか言われちゃうし。
正直あれには堪えた。
あぁ〜、この人にはそんな風に見えてたんだなっ〜て凹んだ。

昔、ガラス細工のようだとよく言われたけれど、私は眺めて愛でる置物ではない。
血の通った人間なの。
緩やかなカーブでさえ上手く曲がれないほど不器用で、いつも迷路の中を出口を探して彷徨っているような・・・それが本当の私なの。

いつだったか言ったかも知れないけれど、私の敵は常に私自身。
自分の心をいかに解放して、何処までコントロール出来るかがカギなの。




・・・書きすぎた。
結局、いっぱいいっぱいなんだよね。
いま。
知性と理性が格闘してる。

そんな感じのつれづれ日記。

2008年08月06日(水)
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