2005年05月21日(土) |
公の仕事をするということ |
「自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性」という表題でまだまだ書きたいところだが、この側面だけに縛られていると視点が片寄ってしまうので、今日は表題を変えてみた。が、中身は「・・・No6」
自治体職員は3つの顔を持つとよくいわれる。 一つは、自治を担う専門職としての顔 二つは、役所勤めをする職業人としての顔 三つは、地域住民としての顔
公の仕事をするということは、常に住民の視線にさらされながら完璧な結果を求められるといえる。さらには、公であるが故に仕事内容の守秘義務が課せられ、労働者としての権利も制約を受けるという特殊性を持つ。
それでも、地域の一部の方々から「役所人間をもっと減らせ」との要求が出るのは、「一部お日様西西」のお方がおられる らしい 事と、公なるが故に役所の仕事内容が「いわゆる役所仕事」になりがちで分かりづらい点からだろうか。
役所が、首切りもリソトラも無い安定職場で、楽しているとのやっかみはこのサイおいておこうか。
以上、自治体職員からの視点。
次に、公の仕事を受ける側からの事を言えば、 まだ役所などという公共機関ができていない時代には、公の施設は、地域の方々の出仕や出資によって整備され、協同の施設を作る事への協力は当たり前の事であり、また請け負って仕事をさせてもらえることは名誉なことで、請負者は入れ足での仕事をすることに誇りを感じていたのではないか。
しかし、そんな事は遠い昔話、今では、県武道館の建設工事トラブルのように、公の仕事から如何に儲けようかとの企業理念が闊歩する寂しい世相である。
政治も然り。
戦後からの話に限定すれば、儲け話を公に求め、右肩あがりの時はそれでも良かったが、左前になった時でも景気浮揚を公共投資に求め、1000兆円という借金の山を作っても平気のへいざ。国の金が足らないと言って自治体合併を求め、そのどさくさに紛れて 急ぎ働きで 稼いでいる業界が見え隠れしている。
これでは、公のためにマジメに奉仕している者が浮かばれない。
過去への反省の無い者は、徹底的に白日の下にさらしておかないと、直ぐにゾンビのごとく甦る。
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