2002年08月16日(金) |
やはり扶桑社か 愛媛県人として情けない |
来春開校する県立中高一貫校で使用する歴史教科書に、扶桑社版を使用する事を県教育委員会が決定したという。 愛媛県人として情けないと思う。 10年事に改訂される教育指導要領に基づき、使用する教科書も改訂される。 その教科書の選定作業があった昨年は、どの社の教科書を採用するかで、大きな議論を巻き起こしたことは記憶に新しい。 その議論の対象となったのは言わずとしれた歴史教科書である。 次代を担う子供達を、国際社会の中で貢献できうる健全な精神を持った社会人として育むため、義務教育の有り様は常に大きな関心を持って見守られているといえる。 だがらその現場は、時のあらゆる権力に左右される事の無いよう、政治とは切り離されたところで存在し、常に中立を保てるようなシステムとなっている事は、今では民主社会の常識だろう。 だが、時としてその現場に、ある一方的な史観を持ち込もうとする勢力が入り込もうとする事は、何も日本だけに限った事象ではないようだ。 それは、イスラム過激派を産む宗教教育だけではなく、キリスト教の世界でも対立は存在するし、虚無の世界を説く仏教の世界にだって教育を支配しようとする芽は常に存在するといえる。 話は大きくなってしまった。教科書の話に戻そう。 昨年、教科書問題が話題となった頃、私は教科書の実態を知る必要を感じ勉強してみた。 中学生だった我が子の歴史・公民の教科書を借りて読んでみた。また、当時「こどもの国」で開催された、新教科書の展示会に行って各社の教科書に目を通してみた。 中学の公民教科書を読んで、議会人でありながら恥ずかしい話「目から鱗が落ちた」の表現を使うのが一番適当だと思った。憲法の解釈から始まり、選挙制度・議会制度等々、現在の日本の民主主義の根幹制度を分かりやすく提示している。 もう既に忘れているような内容もあって、あらためて社会の一般常識としての現行制度を認識し直した次第だ。 「こどもの国」での教科書展示会を覗いたときは、丁度教師とおぼしき人達も多数見に来ていた。その話を聞くとはなしに聞いていると、例の話題の教科書を手に持って「これ見て、こんな内容のものよく検定が通ったわね」などと言っている。 自分でも、何社かの教科書を見比べてみたが、その1冊だけが特異な記述で占められていることの異様さを感じた。この1冊を推奨する人達がよく口にしている「今の教科書は自慰的だ」という指摘はどの部分だろうかと捜してみたが、自分の感覚からしたらそのような記述は見あたらなかった。 その話題の教科書が、公立の中学では初めて愛媛県で採用されるという。 中学の教科書採択に対して、県教育委員会の権限がおよぶところは、県立養護学校と来春開校の中高一貫校。市町村の中学は県教育委員会の権限外。 改めて、民主社会の成熟した制度の中で教育が守られている事を感じている。 だが、このような制度も、その内容を十分に理解した選挙民によって守られ続けないと、いつのまにか偏った考えを持つ権力者によって改竄される危険にさらされることを覚えていて欲しいものだ。 彼等は常にそんな機会を虎視眈々と狙っているのだから。 こんな窮屈な地域で一生を過ごすのはイヤなんだ、と北海道に旅立った友人の気持が分かる。 だが、私は引っ越すわけにはいかない。
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