友人が北海道へ引っ越した。家族共々の移住である。 この地で生まれ、育ち、親の代から生活の基盤がこの地にあり、北海道には何の関わりも無かったのに50歳にしての選択である。 彼は、かの冒険家河野兵一氏が北極点を目指す冒険旅行のおり、持っていった「銛」を作った男である。 あまり頻繁に行き来をしていた訳ではないけれど、私が人生の大きな決断をしたとき、手を差し伸べてくれた数少ない友人の1人である。 今から考えて見れば、彼は自由人だ。だからこそ河野兵一氏とも友人関係を作れたのだろう。 だが、自由人にはこの地は窮屈過ぎたのだろう。ここ数年は休日ともなれば家族共々全国のキャンプ地を旅することが多くなっていたようだ。 そんな中で、北海道の雄大な自然と、そこに生活するおおらかで裏表のない人々とのふれあいが、彼を今日の選択へと誘ったのだろうか。 旅立つ前に一緒に山登りでもして、一日語り合おうと約束していたのに、日程が合わず果たせなかった。 このまえ話したとき、 お前は平成4年の部落内でのあの事故の時から変わっただろう。それまでのお前は部落の人から変わったヤツだと相手にされていなかった。 それが、あの事故を境にして部落の人から存在を認められるようになった。 そうかもしれないなあ。何でそれが分かるんだ。 それは分かるさ。小さいときから性格は知っているし、近くに住んでいるから噂話は耳にするんだよ。 などという会話を交わしあったのだった。 友人は、自分がもう既に過去のものとしているような事まで覚えている。
それでどうなんだ、これまでここで色々やってきて、何か残るものがあったのか。 そうだなあ、この頃ようやく若い者が部落の行事にも少しずつ出てきてくれだしたかな。子供が出来て初めて落ち着くみたいだねえ。 おれは残りの人生をここで過ごすのは耐えられないんだ。自分の性格にあって自由に生きられる土地を見つけたからそこえ行くよ。 そうか、それも人生だなあ。としか私は答えられなかった。 自由人には、別れの言葉も、励ましの言葉も似合わないと思ったからだろうか。 それとも、この地で生まれ、この地に骨を埋める事に何の疑問も持っていなかった凡人の私には、人生の枠組みを取りはっらってしまうという発想への答えを準備できていなかったためだろうか。 友人が旅だってしまった今でも、未だに思考が止まったままだ。
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