問はず語り
案内後退前進


2004年05月16日(日) やさしいひと。

今日はたまたま流れ着いたサイトさまの日記で深く感銘を受けました。
あーだから日記って好きよ。


私は暇さえあればエンピツさんの機能を利用して素敵日記の旅に出ているのですが
そこでは色々な環境や考え方を持った人たちに出会えるってのがいいですね。
最近はそんな時間がないのですっかりご無沙汰なのが残念なとこだけども。

で、多様なジャンルの中にはやっぱりヘビーなのもある訳で
そういうのを読ませて頂いているとうちはなんて幸福な家庭に生まれたのだろうとつくづく思う訳ですよ。
読んでてたまに涙が出るのもあってですね、深く深くそう思うのですよ。
昔から言われてきた「子供を愛してない親はいない」っての、あれって絶対嘘だ。
だって現にそうじゃない人だっているもの。
そういう人種だっているもの。


その方の日記で、天童荒太さんの『家族狩り』という本が紹介されていました。

「それでも周囲の人は言うのです。
子供を愛していない親なんていない…嘘です!偽りです!
愛する事はとても難しい。親なら、家族なら、自然と愛があるなんて幻想です。」


加葉子という女性の語りだそうです。
私はこの本を読んだ事がないので何とも言えませんが、
これについてのその方の日記が本当に心から深く印象に残りました。

確かに子供を愛していない親もいる。
だからこそ、傷ましい事件や出来事が今なお繰り返されている。
そういった事件を見て「信じられない、自分の子供を。私なら考えられない。あり得ない」という人は
たまたま自分が素直に自分の子供を愛しているだけあって、皆がみんなそうである訳ではない、
ということ。

なんだか素晴らしく単純なことなのに気付かずにいた感じです。


私には母親が1人おります。
私のことも、弟のこともとても想ってくれています。
それはこの人が優しいからであって、「親だから当然」という訳ではないのですね。
もしこれが違う人物なら、こんなにも私のことを想ってくれていなかったかもしれない。
「私」という今のこの人格も形成されなかったかもしれない。
そんな単純で最も根本的なことに気付かず、
ただ単に「うちは幸福な家庭に生まれて良かった」とか思ってる場合じゃなかったんだなぁと
つくづく実感しました。

お母が今のお母なのはおばあちゃんとおじいちゃんがそういう人だったから。
その前も、その前の前も。
こうやって紡がれてゆくのですね。
やっと気付いたよ。ようやく気付けたよ。


この人の子として生まれてこれて良かったと思ってた気持ちは嘘じゃないけど、
その前にもっと早く気付くべきだったんですね。
この人が、自分の子を素直に愛せるという優しい人であると気付くべきだったんですね。
そうだよ、そのとおりさ。
恥ずかしくて照れくさくて絶対口に出したり面と向かって言えんけど
優しいこの人の子として生まれてこれて本当に嬉しいです、私。
もし自分の親が自分を少しでも想ってくれているとしたら、それはそれだけでもう、感謝すべき事なのですね。


愛することはとても難しく、
当たり前のことなんかじゃないんだもの。


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大平綾都 |MAILHomePage


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