2009年03月12日(木)  「卵」の母が「壁」に挑む映画『チェンジリング』

日比谷の日劇で『チェンジリング』を観る。冒頭の「A TRUE STORY(真実の物語)」がなかったら、ここまで救いのない話にしなくても、と脚本を責めたくなるところだけど、1928年のロサンゼルスで実際に起きた事件が原作になっている。行方不明になった子どもとは別な子どもが警察の手によって母親の元に帰され、「この子はわたしの子じゃない!」と本当のことを主張した母親が警察の手によって押さえ込まれていく。彼女の子どもを誘拐し、手をかけたらしい犯人が見つかると、今度は警察が追い込まれるのだが、母親は警察と殺人鬼の二つを相手に真実を求める戦いを続ける。相手が警察であろうと殺人鬼であろうと、母の願いはただひとつ、息子を返して欲しいということ。その強さが彼女を突き動かし続け、「彼女は生涯息子を探し続けた」という内容のテロップで映画の幕は閉じられる。

本来は最も大きな敵になるはずの犯人よりも警察との戦いの激しさ、厳しさに圧倒される。口封じのために精神病院へ送り込むという暴力は、息子を奪われた母親にさらなる追い討ちをかける。息子の存在を殺したと思われる犯人の罪と、息子を信じる母の気持ちを殺そうとする警察の罪。その二つの罪の重さを前に、「尊厳」について考えさせられた。たとえ肉体を傷つけなくても、尊厳を奪うことは殺人になるのではないかと。

それでも、アンジェリーナ・ジョリー演じる母は、子どもを信じることをやめず、その希望を杖にして、何度も何度も絶望から立ち上がり、わが子を取り戻す戦いを続ける。「卵と壁」、村上春樹さんのエルサレム賞受賞講演に登場した例えが彼女の姿に重なった。警察、マスコミという権力を前に無力な卵が体当たりする、そんな勝ち目のない孤独な戦いに挑み続ける母の強さは、子宮から産まれるのだろうか。産まれるまでの9か月を一体になって過ごした子と母は、へその緒を切り離されても、見えないへその緒でつながっているのかもしれない。わたしの頭の中には横田早紀江さんの顔が浮かんでは消え、死刑囚となった息子の無実を訴え続けて無罪を勝ち取ることに一生を捧げた斎藤ヒデさんの訃報記事や、民家に米軍機が墜落した事故で全身を焼かれた土志田和枝さんが、すでに亡くなった息子たちの無事を信じて治療に耐えた悲しい事実が思い浮かんだ。

一観客としての好奇心と職業的な興味から、映画を観終わった後、劇場を後にする人たちが口にする感想につい耳を傾けてしまう。最近の映画、とくに邦画は口当たりと消化のよいものがふえているけれど、苦くて飲み込みにくくて胸焼けを起こさせるこの作品は、後味の悪さや消化不良を残す。それを解消する薬を自分の言葉に求めるかのように、いつになく観客が饒舌になっていたのが印象的だった。

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