休日返上で働き続けて、ひさしぶりの休日。ご近所仲間のK家よりお誘いがあり、円卓を囲んで中華ランチの後、今月完成したばかりの新居にお邪魔させていただく。明るい日が射し込む三階のリビングダイニングで時間を忘れてのんびりお茶する。五十年持つ家だそうで、「自分たちが年を取っても住めるように」とホームエレベーターをつけてある。今二歳のまゆたんが大きくなったら、書斎を子ども部屋にするという。「そのときは屋上に出る手前の一畳足らずのスペースにパソコン机を移動しましょうかねえ」「いっそ屋上にプレハブで別荘を建てましょうか」と話すK氏は楽しそう。家を設計するというのは、自分たちの将来を設計することでもあるんだなあと感じる。
数十年後にその家に住まう自分たちを思い浮かべて楽しんでいるK夫妻を見て、最近出会った言葉を思い出した。「年寄りを愛せないことは、自分の未来を愛せないこと」。正確な言い回しは少し違ったかもしれないが、新聞の書評で紹介されていた本の一節だった。逆に言えば、「年寄りを愛せることは、自分の未来を愛せること」であるが、わたしは「子どもを愛せることは、自分の過去を愛せること」だと置き換えて、妙に納得した。
子どもを授かり、子どもという存在を見る目は一変した。もともと自己肯定度の高い人間ではあるけれど、自分にもこんな時代があったんだなあと微笑ましい目で子どもたちを眺めるとき、たしかに過去の自分への愛着は深まっている。子育ては、記憶が残っていない時代の出来事をひとつひとつ追体験していく営みでもある。自分はこんな風に生を受け、食べ物を吸収し、言葉を吸収し、タテにもヨコにも大きくなり、世界を覚えていったんだなあと知ると、自分がたどってきた道のりが愛おしくなる。その道が今日まで続いているってすごいことだなあ、それだけで値打ものだなあと祝福したくなる。
2004年12月30日(木) 英国旅行4日目 動物園と再会と中華
2001年12月30日(日) アナログ