「はっきり言って、割に合わないんですよね」。何度目かの直しを依頼する電話をかけてきた相手にそう告げた瞬間、自分の言葉に驚いた。今井雅子、ついにそういうことを言うようになったか。電話の相手も面食らった様子で、「ギャラがご不満でしたら、上に相談してみまして……」「いえ、お金的には最初から割に合ってないんですが」ますますわたしはすごいことを言う。だったら何が気に入らないのか、うまく説明できない。電話を切ってから、「そうか。自分の期待に釣り合っていないんだ」と気づいた。先週引き受けたその仕事は、まだわたしがあまり実績のないジャンルのもので、ギャラよりも作品を形にできることに惹かれて受けた。けれど、蓋を開けてみると、わたしに求められているのは、クライアントの要求を器用にまとめて形にする作業だった。読みが甘かったのだ。
もやもや感のくすぶりに既視感を覚えて、思い出した。広告会社でコピーライターをしながら脚本を書いていた頃、早く家に帰って脚本を書きたいのに、理不尽な直しが後から後から入ってきて、「こんなことやってる場合じゃない!」と苛立った、あのもどかしさに似ている。コピーライターの名は広告にクレジットされないけれど、世に出すからには、わたしが書きました、と誇れるものにしたかった。書きたいものと求められているものの折り合いを必死で探っていた。会社でわたしが重宝されたのは、いいコピーを書くからではなく、得意先が欲しがるコピーを書けるからだった。自分の考えた言い回しと宣伝担当者が発明した言い回しのパッチワークをこなれたコピーに仕立て直す、そんなことばかりうまくなっていた。早くて便利なコピーライター。コンビニと同じでお客さんはひっきりなしに来るけれど、大切なものを頼むときはよそへ行ってしまうだろう。そんな怖さがよぎって、自分の名前で勝負しようと思い立ったのが、大好きな会社を飛び出してフリーランスの脚本家に転じた動機だった。
好き勝手に書かせてほしいのではない。直すのが嫌なのではない。誰がやっても同じ仕事をしたくない、それだけだ。「わたしがやらなくてもいい仕事」にかける時間と労力があったら、「わたしがやるべき仕事」に注ぎたい。それが「割に合わない」の内訳だった。恋愛と同じで、違和感をはっきりと自覚しながらつきあいを続けるのは、しんどい。けれど、引き受けた仕事を投げ出すことは許されない。「仕事のせいにするんじゃなくて、割に合う仕事にするのは自分次第なんじゃないの」ともう一人の自分が囁く。たとえ仕入れにコストをかけすぎて原価割れしても、コンビニではなく専門店の仕事をするのだ。名前を出すからには、ギャラではなくプライドに見合った仕事をするのだ。フリーランスの意地だ。気を取り直してパソコンに向かい、ファイルを開き、もうひと粘りすることにした。電話の相手に投げつけた「割に合わない」は結局、自分を奮い立たせる言葉だったのかもしれない。
2005年06月25日(土) 『子ぎつねヘレン』ロケ見学最終日
2002年06月25日(火) ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)
2000年06月25日(日) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)