保育園ではじまった「親向け文庫」で『親が子にできるのは「ほんの少しばかり」のこと』を手に取る。著者は脚本家の山田太一氏。子育ての本を書かれているとは知らなかったが、三児の父であるらしい。
目次を見渡して、まず唸った。わたしが感じていたものの言葉になっていなかったことをずばり言い当てたような明快な見出しが並ぶ。「子どもは自分の成熟する場所」「人間は汚れを抱えている」「理想型にとらわれる無意味」「心の傷も栄養になる」などなど。とくに、「子どもは自分の成熟する場所」というのはうまい表現だなあと膝を打つ。子育てと言いつつ、わたしは子どもに教えられることばかり。「育児についての情報は溢れています。しかし、わが子についての情報はない」と本文にあるように、育児書を読んでもネットで引いてもわからない育児というものを実践で学ばせてもらっている。「あなたもこんな風に育ったのよ」という自分の記憶が及ばない昔のことを身を持って思い知らされ、わが身の来し方行く末を考えさせられ、感謝の気持ちも呼び起こされ、子どもが生まれてからというもの(あるいはおなかに宿った日から)、人生でまだ知らないことがこんなにあったのかと驚かされてばかりいる。
とはいえ、今は子どもを食べさせて大きくすることに専念し、風邪や事故に気をつけていればいいのだが、そのうち子どもの性格や生き方に悩まされる日が来るらしい。そのときこそ、本当に「成熟」の機会となるようだ。子どもは親の思い通りにはならない。そこに葛藤が生まれるわけだけれど、子どもには子どもの人生があり、それを生きて行くしかない。そして、親は自分にできる「ほんの少しばかり」のことをやるしかない。この「ほんの少しばかり」は、あきらめでも悲観でもなく、気持ちを軽くする言葉として響く。全部を背負わなくていいんですよ、やろうったって無理ですよ、と最初からわかっていれば気が楽になるし、ほんの少しなら自分にもできそうな気がする。
わが子をあるがままに受け止めようというメッセージを全編から受け取ったが、わが子だけでなく、自分の人生や人間というものを見つめる目にも懐の広さを感じた。「清潔で明るいところばかりになると、心の中に抑圧をためてしまう人が出て来る」といった指摘にはっとする。わが子にはきれいなものだけを見せたいと親は考えてしまうけれど、それは世界の半分にふたをすることになるのかもしれないなどと考えさせられた。
2005年06月10日(金) 『メゾン・ド・ウメモト上海』の蟹味噌チャーハン
2004年06月10日(木) 「きれいなコーヒー」と「クロネコメール便」
2002年06月10日(月) 軌道修正
2000年06月10日(土) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)