2007年06月09日(土)  マタニティオレンジ129 梅酒を作りながら夫婦とはを考えた

誰が言い出したのか定かではないが、娘が生まれた最初の年に梅酒を漬けるものらしい。イベント好きのわが家でも、やってみることにした。娘がお酒を飲める年になったら、琥珀色に熟成された梅酒を一緒に飲むなんて、オツではないか。そんな記念のお酒を漬け込むからには材料にもこだわりたいところだが、こだわり農家の今年の梅の予約は終了。サイトのセンスから想像するにひと粒ひと粒丁寧に育ててそうな梅の月向農園のレシピだけ参考にさせていただき、材料は生協にある普通の梅と普通のホワイトリカーと普通の氷砂糖を調達することにした。

夕食の後に仕込む予定でいたら、その前に、ちょっとした夫婦喧嘩になった。きっかけは些細なこと。食べ終わるとさっさとテーブルから離れてテレビへ向かうダンナの背中に、「お皿ぐらい下げてよ」とな声をかけたついでに、「わたしがお皿洗う係じゃないんだから」となじった。一緒に暮らしはじめたとき、洗いものはダンナが担当するという、なんとなくの家事分担を決めた。といっても洗濯はわたしで、食器と風呂を洗うだけ。最初のうちはやってくれていたのか、記憶が定かではないけれど、わたしが会社を辞めて家で仕事をするようになって完全に崩れた。いつの間にか洗いものもわたしの担当となり、たまにダンナがやってくれたときはわたしがありがとうと言う。逆じゃないのと思いつつも、ま、いっかと流されて今日まで来たのだけれど、わたしが締め切り前で洗いものどころじゃないときに「洗ったら?」
なんて言われると、「そういうあんたが洗ってよ」と言いたくなる。

洗いものだけじゃない。家事全般にわたって、わたしがやるものだと思われている。やって当たり前、手を抜くと文句を言われる。「シャンプーがないよ」「ティッシュがないよ」と言われるたびに、自分で買ってくればいいのにと思う。日用品の買い足しなんて、気がついたほうがやればいい。会社を辞めて浮いた時間と労力はあるわけだから、それを家事にあてるのはまあいい。子どもが生まれるまではそうだった。だが、仕事に育児が加わった今、家事分担率を見直してくれてもいいんじゃないの、というのがわたしの言い分。「だって、君は一日中家にいるじゃないか」と言われた日には、「だったら事務所借りればいいのか!」と開き直りたくもなる。

そんな恨みつらみが売り言葉に買い言葉で飛び出して、言うつもりのないことまで言ってしまい、言葉もきつくなり、娘のための梅酒作りとはほど遠い雰囲気となってしまった。だが、梅は新鮮なうちに漬けたほうがいいし、すでに水に放ってアク抜きをしている。「今夜中に漬けるべきなので、決行します」と事務口調で宣言し、作業にとりかかる。「記録を取っておこう」とダンナも事務口調でビデオを構え、ふくれっ面のわたしをとらえた。

「まず、水気を拭き取ります」。わたしの指示にダンナは無言で従い、梅をボウルからひと粒ずつ引き上げ、黙々とキッチンペーパーで磨くように拭く。単純なその作業を並んでやっているうちに、肩の力が抜け(おそらくこわばっていた顔の力も抜け)、笑いたいようなおかしな気分になった。なんだ、わたしがしたかったこと、ダンナに望んでいたことは、これじゃないか、と気づいたのだ。

これはあなたの仕事、これはわたしの仕事じゃない。そんな風に割り切ったり押しつけ合ったりするのがさびしかったのだ。夫婦なんだから、家族なんだから、一緒にやればいいじゃない。皿洗いは、わたしも好きじゃないけど、ダンナも好きじゃない。だったら、二人でやっつければいい。洗うのはわたしでも、シンクまで運んでくれたら助かる。お皿をリレーするときに、よろしくね、まかせてよ、と声をかけあえたら、気持ちも軽くなる。面倒だと思って相手に押しつけた瞬間、重荷はもっと重くなるのだ。梅酒を作るのだって、一人で取りかかると大変だけど、二人がかりならお祭りになるのだ。一緒にやれば、楽しい。そんな単純なことをうまく伝えられなくて、わたしはダンナに苛立っていたのだった。

梅酒が完成する頃にはわたしの機嫌も直り、何も言わなくてもダンナはそれを察し、なんとなくいつもの二人に戻っていた。娘と飲める日が来たら、梅酒を漬ける前は喧嘩していたんだけど……と昔話をしてみよう。喧嘩の中身が溶けた梅酒、どんな味がするのかな。

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