数日前、変な夢を見た。わたしはどうしてもSMAPのコンサートに行きたいのだけれど(なぜSMAPなのか。追っかけでときどき上京する京都のメグさんの影響かもしれない)、子守を頼んでいた大阪の母が「わたしは文楽に行く」と言い張り(これはありうる)、ならば子連れで会場に入ろうとすると渋られ、会場近くの託児所へ行くと、いかにも信用の置けなさそうなスキンヘッドにタトゥーのゲイが出てきて「まかせて」とウィンクするのだけれど、まかせられずに引き返し、コンサートをあきらめた。
そんな夢を見たのは、少し前に読んだ保育園の園便りの影響だと思う。「身近なお出かけスポット」について各クラスから一人ずつ寄稿することになり、0歳児クラスではわたしに声がかかった。わたしはお散歩コースにあるおいしいイタリアンとパティスリーと、子連れで映画を楽しめるママズクラブシアターについて書いたのだが、他のクラスの保護者の方のコメントを読んで、あることに気づいて愕然となった。1歳児クラスのお父さんは「子どもと一緒に遊べる公園」を、2歳児クラスのお母さんは「子どもとじっくり絵本を選べる神保町の本屋さん」を、3歳児クラスのお母さんは「子どもが大好きなコミュニティバスのお出かけコース」を紹介している。わたしのコメントとの明らかな違いは、「自分が楽しむことありき」か「子どもが楽しむことありき」かだ。わたしが紹介したスポットは「自分が楽しいところに子どもをつきあわせる」という発想になっている。この寄稿文に限らず、「子どもと一緒に楽しめる」というとき、自分に子どもをつきあわせているのではないか、と思い至って愕然とした。
そのことが引っかかって夢にも出てきたのだろう。夢の中でもやっぱりわたしは自分の都合に子どもを合わせようとしているのだった。なんとなく後ろめたさを抱えていたので、金曜日に保育園のお迎えの帰りがけに園長先生から「園便りへの寄稿、ありがとうございました」と声をかけられたときに、「わたしだけ、親が楽しむことばかり書いてしまって」と恐縮すると、「いいんですよ。0歳のうちは」と言ってくださる。「まず、親が楽しくあること、それもとても大切なことです」。力強い言葉に、罪悪感がずいぶんぬぐわれ、気持ちが軽くなった。
親が好きな場所に、子どもを連れて行く。親が楽しいと思うことに、子どもを巻き込む。一緒に楽しむという意識はまだないかもしれないけれど、親の楽しい気分が、子どもにも伝われば、一緒に笑うことぐらいはできる。お出かけ日和の日曜日、ベビーカーで日比谷公園へ出かけ、日差しが入り込むテーブルでランチを取った。四人がけのテーブルを夫婦とベビーカーでぜいたくに使わせてもらう。陽気に誘われて、たまはベビーカーの中ですやすや。その間に野菜たっぷりのサラダバーを味わう。デザートが運ばれてくるタイミングで目を覚ましたので、だっこしながらお茶を飲んだ。一緒に食べられる日はまだ先だけれど、今は今の楽しみ方があっていいのかなと思う。
2005年06月03日(金) 劇団浪漫狂『ピカレスクpp行進曲』
2003年06月03日(火) 海南鶏飯食堂(はいなんじーふぁんしょくどう)
2002年06月03日(月) きる ふぇ ぼん
2000年06月03日(土) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月03日(日) 4年2組日記 先生の家