2007年05月03日(木)  中原道夫さん目当てにサイエンス俳句

最近メールを交換するようになったHさんという女性が俳句をたしなまれる方で、「今井さんは俳句をやらないんですか」と聞かれたので、「コピーライター時代に仕事で組んだデザイナーが中原道夫さんという俳人で、遊び半分で手ほどきを受けたことがあります」と伝えたら、「そんなすごい人に!」と驚かれた。広告会社のアートディレクターが俳人でもあるのではなく、俳人が気まぐれにアートディレクターもやっている、という感じの人で、会社あてに「先生いらっしゃいますか」という電話がよくかかってきた。プレゼン間際に「中原さんがいない!」「もう出発するのに!」と焦った営業がふと隣のビルに目をやると、カルチャーセンターの俳句教室で指導しているのが見えた、という笑い話もあった。

中原さんと化粧品の広告をつくっていた頃、わたしはまだ二十代半ばだった。俳句界の芥川賞にあたる賞を受賞した、ということは聞いていたけれど、俳句のことはまるでわからないゆえの無邪気さと若さゆえの図々しさで、「わたしも書いてみましたぁ」と作品を見せた。五句ぐらいあった中で批評してもらえたのは「稲妻の ピアスのごとく 海つらぬく」という一句。しかし、拾ってもらったのではない。「俳句というものは作者の見た世界を十七文字に凝縮しなくてはならないが、この句が表現している世界は十七文字より小さい」ということを伝える例として選ばれたのだった。「稲妻、ピアス、つらぬく、すべてとんがってたものでかぶってるでしょ。十七文字のうち半分以上が同じこと言ってる。驚きも意外性もないし、深みもない。十七文字からイメージがひろがらない」と言われ、「十七文字から原稿用紙一枚分、四百字ぐらいの情景が浮かぶようにしなさい」とアドバイスされた。「海つらぬく、と六文字になっているがけど、ここが字余りになるのは美しくない。余らせるなら真ん中の七文字を」と指摘されたことも覚えている。中原さんとは、普段は仕事そっちのけで得意先へ行くついでに何を食べるかばかり考えているくいしんコンビだったから、「おいしいお店を知っている楽しいおじさん」ぐらいに思っていたのだけれど、さすが俳句を見る目は的確だった。高名な師の添削に、謝礼代わりに「言うことがプロっぽ〜い」とはしゃいでいたわたし。世間知らずの二十代とは恐ろしい。

そんな思い出話を伝えていたところ、Hさんから「中原さんが関わっている俳句募集がありますよ」とお知らせをいただいた。日本科学未来館が5月4日に「“句会”科学を旅して、俳句をつくろう」というイベントを行い、「21世紀の新しい世界の変化を、日本古来の表現形式でどこまで表現」できるのかを検証する。その講師に中原さんを迎えており、インターネットからも投句を呼びかけているのだった。「宇宙」「ロケット」「遺伝子操作」などなど科学と縁のある言葉を折り込み、未来をとらえた「サイエンス俳句」がお題。日本科学未来館へは『恋愛物語展』という企画展を目当てに訪ねたことがあったけれど、科学に物語をつけるのが得意なようだ。

応募はたくさん来るだろうけれど、目に留まった句は中原さんに読んでもらえるかもしれない、と早速取り組んでみる。季語に加えてサイエンス単語という縛りが出来、これがなかなか難しい。締め切り間際になんとか三句ひねり出した。

織姫と彦星きどり 星めぐり

ロボットが 雪を降らして 雪をかき

国連が 星連になり 天の川


宇宙や未来はスケールが大きいけれど、句のスケールはといえば甚だ心もとない。応募の雅号は「いまいまさこ」にした。「今井雅子にはこういう色が似合う」「今井雅子は銀座のあの店には行ったか」などと中原さんはわたしのことをフルネームで呼んだ。運良く応募作品を目にしたら、「今井雅子、変わってないね。十七文字からまるでイメージが広がらない」と嘆かれるだろうか。ドキドキしながら送信ボタンを押した。

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