2005年08月31日(水)  佳夏の誕生日

幼なじみの佳夏の誕生日は覚えやすく、忘れにくい。8月31日、夏休み最後の日。社会人になっても「夏休み最終日」のニュースを目にすると、ああ佳夏の誕生日、と反射的に思い出す。思い込みが激しく、思いのままに突っ走る佳夏には何かと驚かされたが、去年の春の突然の訃報には何より驚いた。いくらなんでもそれは反則ちゃう?というほどの衝撃に言葉を失った。

あれから2度目の佳夏の誕生日。いまだに実感が湧かないし、泣きそびれているけれど、佳夏のことは毎日のように思い出す。佳夏を偲ぶ会がきっかけになって持ち上がった小中学校の学年同窓会の日が2か月後に迫った。「佳夏の置き土産」と同級生は呼ぶ。偲ぶ会から一年あまりの間に、何人もの同級生と再会を果たし、学年が大きすぎて互いに知らなかった同級生とも知り合えた。「名簿見てたらね、佳夏ちゃん、クラスの同窓会委員になってたわ」。大阪にいる同級生から連絡が入る。佳夏はそういうつもりじゃなかっただろうけれど、今回の同窓会は彼女が言い出しっぺのようなものだ。同級生が集うサイトでは、「佳夏、誕生日おめでとう」の書き込みが続く。佳夏だけ若いままは許さへんでー。あんたも一緒に年取るんやでー。佳夏は美人だったので、このまま時が止まっては、ますます差が開いてしまう。

わたしはここ数日、偲ぶ会の日の日記の英訳と格闘していた。ベルリンの研究所での同僚たちが読みたがっているという。春にご両親を訪ねたときに「誕生日までに」と約束していたのを気にかけつつ後回しにしてしまっていた。訳しながら、また佳夏のことを考えた。家が隣同士の、まったく対照的な幼なじみ。去年再会した同級生の男の子は、佳夏とわたしを「太陽と月みたいやった」とたとえた。でも、太陽とはぐれた月は、自分の力で輝くしかない。佳夏と過ごした眩しすぎる日々を燃料にして。今のわたしは、太陽電池を積んだ月なのかなと思う。
2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

2004年08月31日(火)  東京ディズニーランド『ブレイジング・リズム』

<<<前の日記  次の日記>>>