■幼なじみのヨシカの訃報を聞いて3か月が過ぎ、お別れ会からも2か月が過ぎた。お別れ会のことを綴った6月20日の日記にはたくさんの反響があり、ヨシカの知り合いだという見知らぬ人からもメールが届いた。彼女の強烈なキャラクターや豪快なエピソードや奔放な発言はいろんな人をあちこちで驚かせたが、「極めつきが今回の訃報でした」と言う声が多かった。■昨日、8月31日は彼女の誕生日だった。毎年、「夏休みが終わるなあ」とセンチメンタルになりながら、「あたしにとってはめでたい日や!」と言うヨシカを祝っていたので忘れようがない。これからは誕生日が来ても、彼女はもう年を取らないのだ、とあらためて思う。人が亡くなることを「遠くへ行く」と言ったりするが、年齢という物差しで見ると、「少しずつ遠ざかっていく」とも言える。8月31日がめぐってくるたび、わたしはヨシカの年齢から離れていく自分を意識し、広がることを止められない空白にため息をつくのだろう。子どもの頃、「生まれ変わったら何になる?」と聞かれて、わたしが「女は損やから男になりたいけど、スカートは、はきたい」と答えたら、「損せえへん女になったらええ」と言い放ったヨシカ。生まれ変わりがあるとしたら、オリジナルヨシカに負けず劣らず自己主張の強いしっかり者の女の子になって、もう一度地球を騒がせにやってくると思う。
2003年09月01日(月) 「うんざりがに」普及運動