度々旅
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父が他界し1ヶ月経った。この1ヶ月、長かったのか短かったのかよくわからない。何をしてたのかもよくわからない。でも、毎日毎日やることが次々とあって、家長がいなくなるって大変だねという知人の言葉のとおりで、何がってわけでもなく、やることがあって大変だ。 何かひとつやる度に母と私は「忙しいのは父のせいだ。ああ、腹が立つ。一人だけさっさとお気楽にいきやがって。オレは誰にも迷惑をかけんなんて口ばかりだ」と文句をたれる。そして、怒りと寂しさと笑いの中、なんであたしたちがこんなことしなきゃなんないのさ!と言葉にする。 父がいなくなり、これほどまでに私の中に父がいたのかと驚いた。葬儀中笑いたくてしょうがない場面があった。今父が何を言いたいかがわかるのだ。何をどうしてほしいのか、何を感じてるいるのか。多くの方が父を語るのを見て、娘というだけで皆さまの前で挨拶をするほど私は父を知っていたのだろうかと不安にもなり、自分を恥じもしたが、やっぱり父は私で私は父なのである。 父がいなくなった現実を自分や母が理解し、受け止めているのかは本当のところわからない。でも声に出して言葉を交わし、視覚的に会えないだけとも思える。それが人がこの世からいなくなるってことだったら、正直それほど悲しいことじゃない。祖父を喪い、納骨のとき、祖父と私の境界が本当に不思議でたまらなかった。どうして、祖父だけあっちにいってしまったのだろう。いや、むしろ、なぜ私はこっちにいるのだろうといった感じだ。今回は、いやにあっさり父がいない場というものを受け入れることはできた。でも、本当に悲しみが生じるのは、これから歩く道にあるんだろうなと思う。私も母もまだ道は続いている。たぶん死んで一番がっかりしているのは父本人なわけで、そう思うと、バカだよなぁ…としか言葉がでなかったりもして。 四七日を過ぎ、父は普賢菩薩さまのところでうろうろしているみたいだ。どんな旅路なのかわからない。近所の人のところには出てきているようなのだが、私と母のところには照れくさいようで出てこない。もう今更言う言葉もないのかもしれん。ああ、わかってるよとこちらも思う。 それにしてもだ。この10年で、母と私ばかりか犬までもが3つも葬式を出した。当分遠慮願いたい。
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