2002年07月03日(水) |
こんなもんでしょ なんでも |
防弾チョッキで身を固めすぎて、やや、身動きできなくなってるじゅんこさんですが、 なんとか元気に暮らしています。 (昨日のコメント参照)
こんな時は、ゴハン作りの事なぞ考えて、楽になってみましょうか。
初めてお料理をする時って、何をしたっけ?
ん~と、まず、何を作りたいか、今、何を食べたいか、を考えたかな。
そして、作りたいメニューが決まったら、そのお料理を頭に思い浮かべたね。
ここで、「お料理の本を開いて完璧に作ろうと思う人」と、「自分の舌を頼りに試行錯誤しながら作ろうと思う人」 に分かれるみたいだね。
で、材料の買い出し。
あのお料理は野菜は何が入ってるんだっけ? お肉? お魚? 調味料は何が必要かな?
メモ見たり、記憶を頼りにして、お買い物が終わったら、いよいよ調理開始。
ここでまた考える。
包丁研いであったっけ? 野菜の形はどう切ればいいんだ? お鍋? フライパン? 取り掛かってみたものの、やってみるとわからない事だらけ。
それでも、どうにかこうにか具は準備できて、火も使えて、さあ、味付け。
一番大事な所だね。 気合も入るぜ!
本を頼りに作った人のは、分量も順番も完璧だから、無難な仕上がり。 きっと、お皿の盛り付けもキレイに写真の通りなんだろうな。
自分の舌とイメージを頼りに作った人のは、「なんじゃこりゃ?」って味になったかもしれない。 盛り付けも上手くできなくて、悔しくて「くうぅ~っ」って唇噛み締めちゃうわよね。
いいんです、それで。 だって、自力でやろうと決めたんだもん。 失敗するのなんて当たり前だし、わかってるし。
そして何度も取り掛かって、指先を切ってみたり、お鍋をコガして焦ったり、いきなり火柱ファイヤーでビビッたり・・・・・・ いろんな調味料を使ってみて、必要な材料といらない調味料を見分ける舌ができて、 やっとおいしく感じる味にたどりつくんだよね。
味覚って、育つし、不感症にもなりやすいらしいよ。
調理の仕方ひとつで、味わい方が変わるから、よーく吟味しないと。
食べた人の「おいしーい!」の一言で、心が潤うね。
「よっしゃ、次は何を作ろうかな」 って原動力にもなる。
試行錯誤してスッタモンダしながらお料理覚えると、アレンジ欲も湧き上がるよ。
基本の美味しい味を知ってるから、それを壊すのなんて、屁でもないのさ。
壮絶な回数の失敗と、自己嫌悪の中で生み出した、自分にしか使えない調味料の分量で、新しいお料理を作れるんだもん。
こんな面白いことはない! ウハハハと燃えるぜい!
洋食でもなく和食でもなく、自分の味覚を信じて、思うままにスパイスを駆使して作りあげた 「これが私の作るゴハンだよ」ってのは、誰にもマネできない私の味。
通称 おふくろの味 ともいう。
本ばっか頼りにしてたらきっと、できなかっただろうなあ。
その本を書いた人のやり方をマネするだけだもん。
やっぱ、自分でやってみて、考える作業ってのは大事だねえ。
お店で食べて「おいしいっ!」って感じたら、それを盗もうと必死になるよ 私は。
でもね、たまにはガイドも必要になるさ。 自分の知識なんて微々たるもんだからね。
そんな時は、本で確認したり、お店に味を確認しに行く。 お店の人に聞いたりもするね。
知りたい ってことは恥ずかしい事じゃないもん。
そして、自分流のスパイスを足して、アレンジして、ワクワクしながらまた作って、 それを喜んで食べてくれる人達がいて、自分も満足!
だからお料理は大好きだ。 食べれりゃいいってもんじゃないよね。
疲れて惰性で作ったり手を抜いた食事は、オナカは満たしても心の満足感がないと思わん?
質素な材料でも、気持ちが入ったゴハンは美味しいよ。
食べたい時に食べたい物を作る。 「作ってみたい」って衝動を押さえない。
こんな当たり前の欲求に素直な料理人の作るゴハンは、本当に美味しい。
クチに入るモノも、目で見るモノも、耳で聴くモノも・・・・・・同じだと思うよ。
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