ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




非メモリーグラス的雑考
2003年02月19日(水)
よく恋愛最盛期の時に考えていた事だけど、「思い出の量」って勘違いしやすい材料だなぁ、と思って。
でもね、思い出の量でヒトを好きになったり、結婚したりするのは正しい事ではない!とこれだけは私の拙い経験の中で学んだ教訓であります。
ハイ・フィデリティという映画をかつて観ました。主人公の30男が自分の酷い「失恋ベスト5」を挙げて、その振られた相手ベスト5に会いまくって、その理由を聞き出すというストーリー。(笑)変われない30男。彼は思い出を暴く事でイロイロと真実を知っていきます。知らなくて良かった事も。
良くも悪くも、思い出は思い出。自分が監督で上手く編集したビデオテープみたいなもんです。他人から見たら、それはただの恥ずかしいメロドラマかもしれない訳で。だからね、間違ってもバーで「水割りをください!涙の数だけ!」(古っ)なんて酔いどれてバーテンさんに言ったりするのは愚の骨頂です。やめましょう。(笑)
奇しくもこの映画は、元彼に誘われて観に行ったのですが、この主人公の行動をちゃんと隣で一緒に観ていたハズなのに、やっぱり映画の後「やっぱ知りたいよな〜。俺のどこがいけなかったのかな?」って知りたがりました。(何見てたんだ。コノヤロウ>>苦笑)思い出は真実をベールで覆ってしまう怖いものです。その隙間に何かの拍子に物凄く美しい物語を見せてくれる事もあれば、おぞましく思い出したくないような物語をも見せる事もあり。思い出にいっぱい登場するヒトに感情移入しちゃったり、同じ画(え)を見てたヒトと同調したくなったり、そんなヒトと一緒にいれば、楽は楽だけど。そこに2人で溺れてもなーんの意味もない。
一時期「”思い出”抜きで」というのが自分のキーワードだった事があって、今現在「思い出」をすべて記憶からリセットして、一緒にいて尊敬したり、楽しかったり、苦しんだりできるかな?って事を考えると急に不安になったりして。もし、何にも知らなくて、バッタリ今のこのヒトと出会って、どのくらい魅力的な人間なのか。・・・グズグズと悩んだり、周りからは「でも結局、そういう腐れ縁のヒトと落ち着くんだよ」とか「年貢の納めどき」(←よく考えたら変な言葉。なんの「年貢」なんだっつうの?)とか言われたりしましたが。1人になって出直すのに、そう時間はかかりませんでした。
隊長に30ン年分の私の知らない思い出があって、私に20ン年分の隊長の知らない思い出があって、それでいいんだと思います。それを語ったり振り返ったりするのは野暮ってもんで。そこらへんの分別がついてから一緒になった分、いつ仮にリセットしても新鮮なつきあいができているのかもしれないなぁ・・・と思ったり。
結局、なんでこんな事を急に書くかというと、世の中、そういう自分の編集した「思い出ビデオテープ」を他人に見せたがりな人が多過ぎるんじゃないかな?とか思ったからです。せめて「ネタ」にしてから見せてくれ〜痛過ぎるから!みたいな。
もちろん、自分に対する戒めも込めて、ね。









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