| 2005年11月11日(金) |
fromイッサンブル。 |
大崎善生さん『ドナウよ、静かに流れよ』読了。 大崎さんのノンフィクション本です。 買ったのは前だけど、読まずに積まれていた本。 実はノンフィクションってことに躊躇してたの。 1番有名な「将棋の子」もまだ読んでないの。 何となく昔から避けていたジャンル。
で、そろそろ読んでみるかーと思って読み始めたら面白いのなんの! 33才の自称指揮者と19才の女子留学美大生の、ドナウ川での心中事件。 この小さな新聞ベタ記事を見た時に衝き動かされた大崎氏の、丁寧なルポ。 事実はひとつではないという事実。それを常に忘れてはいけないという、 マスコミの心構えとしてとても大事なことを常に身近に備えて、やさしく 公平な気持ちで、その上で多方面からみての事実に近づこうという慎重な 文章に、小説ではない大崎さんの魅力が詰まっています。ある意味新境地。 読みながら、ドキドキとドナウに引込まれていく自分がいました。 一緒に傷ついて一緒に癒される、そんな気持ち。日美の両親がこの本を 読んだら、読みながらいろんな感情が出てくると想像できる。でもたぶん 最後までこの本を読み終えた時、この哀しい出来事をひとつの宝箱として 鍵をかけて一生持ち続ける覚悟ができているような気がしました。 というかそうであったらいいなと思いました。
*マリアにとっての事実を私は知り得ない。なぜならば、それを知った瞬間から それは形を変え、私にとっての事実にもなるからだ。神のように、天上から 何もかもを見ることはできない。鳶にすらなれない。しかし、だからといって 事実に自分が迫れないかといえば、私はそれを諦める気にもなれない。 私側から見えた事実が、それがたとえ絶対的な事実とはいえないまでも、 その尻尾を掴まえているということだってあり得るだろう。尻尾を掴まえる ことができるのなら、もっと大きな部分を掴まえている可能性もある。
|